【4】落ちこぼれ魔女とドラゴン、少しずつ距離を縮める
毒消しの草だけでは足りなかったのか、蛇の魔力が体の中を巡っているようで、瞳の色は濁り、肌の色もどす黒く変わってしまっている。
朝になっても横たわったまま起き上がらないメリルのために、スウェナは森の中で別の薬草を探し回ったり、水を飲ませたり、傷を受けた腕を冷やしたりと、思いつく限りの看病をした。
それでもちっとメリルの顔色はよくならず、眠ってばかりいる。
スウェナはメリルをひとりにすることが心配だったが、自分がそばにいても役には立たないことは嫌というほどわかったので、何か彼の力になるものを探しにいく決心をした。
(もっとよく効く薬草か、元気の出る食べ物……)
スウェナの手持ちだけでは、どうにもならない。
メリルの方へ流れないよう慎重に魔物避けの木の煙流し、獣避けに火を焚いてから、スウェナはそっとそのそばを離れた。メリルはやはり眠っているようだったので、声はかけずにおく。
迷ったら最後だと思い、ところどころ目印に破いた服で作った紐を木に結びながら、スウェナはメリルにもらった杖を突いて森の奥へと進んでいった。
深い森の中の景色は歩いてもあまり変わらない。背の高い草に足を取られ、不意に転がる石につまずきそうになりつつ、急な勾配を繰り返す地面を必死に歩く。歩きながら、スウェナはメリルが先を進んでくれたから、いきなり現れた段差から滑り落ちたり、毒息を吐く小さな蛙の群れに覚悟もなく突っ込んだりせずにすんでいたことを思い知った。メリルは「そこを進め」だの「それを殴れ」だのと指示して、そこにはかならず罠が待っているが、先に行ってくれれば少なくとも「何かある」という気構えはできる。
メリルがいない今、スウェナは杖で進む先を探って、どんなに注意していても、十分に一回は魔物の罠にかかっていた。
(でも、メリルが教えてくれたから、死ぬようなひどいのには引っかからないわ)
返しのついた棘を飛ばす花を慎重に避けながら、スウェナはメリルがその言葉遣いほどは悪い人――否、悪い魔属ではないのではと気づきつつあった。
だからよけい、苦しんでいるメリルを何とかしてあげたいと思う。
鬱蒼と茂る森、その木々の隙間から見える太陽がずいぶん高い位置に来た頃、スウェナは歩き疲れて太い木を背に凭れ、休憩を取ることにした。
座り込んでしまえば、立ち上がるのが億劫になる気がして、立ったまま腰に括りつけておいた革袋から水を飲む。
数時間森を彷徨っても、毒になる植物はあれど、薬になりそうなものがみつからない。
一度メリルの様子を見に戻った方がいいだろうか、そう迷いながら小さく溜息をついたスウェナの視界の端に、ふと、きらきらと光る粉のようなものが映った。
無意識に首を巡らせる。
「あ……っ」
つい声を漏らしかけてから、スウェナは慌てて自分の口を片手で押さえた。
少し離れた位置に見える、蝶のように小さく、羽根を持つ、裸の人に似た体を持つ生き物が、二匹。
(妖精……!)
白色の四枚羽を持つピクシーだ。羽ばたくたびに金色の粉を振りまいている。
スウェナはごくりと喉を鳴らした。あの種類のピクシーは、集団で巣を作り、その中に「万病に効く」とされるミルクを貯めているはず。
ピクシーは、森に咲いた花の周りを、虫のように飛び回っている。しばらくそうしてから、二匹じゃれ合うように、移動を始めた。
スウェナは息を殺し、足音を殺そうと努力しながら、そっとピクシーたちの跡をつけた。
ピクシーたちは森のより深い方へと進んで行く。草を掻き分けるたび、慌てて予想外の穴に足を突っ込むたびに、その音が相手に聞こえやしないかとびくびくしながら、必死にその後をつけた。
しばらく歩き続けたところで、不意にピクシーの姿が視界から消える。木の間隔が狭くなり、幹と幹の間にピクシーをみつけられなくなってしまったのだ。
慌てて、スウェナは駆け出し、こけつまろびつしながら、とにかく妖精の消えた方へと向かった。
「……!」
目の前が開けた、と思った瞬間、スウェナは足許の倒木に足をひっかけ、力の限り正面から地面に倒れ込んだ。
「い、痛った……ぁ……」
半泣きで顔を押さえ、頭を上げると、目の前にずいぶん小さい人の顔。
「きゃ!」
スウェナは悲鳴を上げて起き上がり、身をすくめた。
尖った鼻に耳、人間の言葉ではない囁き、金色の粉をまき散らす羽ばたき。――ピクシーに、十も二十も、スウェナは取り巻かれていた。
「ごっ、ごめんなさい、あのっ、黙ってついてきて!」
慌てて謝るものの、ピクシーはくすくす笑いながら、揃って首を傾げている。低級の魔属なので、スウェナにその技術がない限り、相手と言葉は通じない。
「図々しい、本当に勝手なお願いだけど、あっ、あなたたちが持ってる、ミルクを、分けてほしくて」
それでもスウェナは必死に懇願する。
頼み込みながらそっと視線を辺りへ巡らせると、ここは、どうやら小さな円状に木を切り開き作った、妖精の住処であることがわかった。円の隅に、切り株と干し草で作られた、住居のようなものが見える。ピクシーはあそこで寝起きしているのだろう。
(あそこに、ミルクが……)
ピクシーは非力だ。だが人の心を惑わし、長く眠らせる魔法を持っている。スウェナに対抗するすべはない。弱い魔属だから叶うかもしれないとは思ったが、一か八かで契約を試みるのも危険だろう。
彼女たちを怒らせないように、スウェナはとにかくしゃべり続けた。
「竜が、あなたたちの魔属の仲間が、弱って苦しんでるの。決して人間のいいように使ったりはしないわ、かならず彼のためだけに使うと誓う、だからお願い、ほんの少しでいいの、ミルクを譲ってくれない?」
ピクシーはひそひそと、お互いの顔を寄せて囁き合い続けている。何を相談しているのか、考えるだに、スウェナは希望よりも恐怖で胸が潰れそうだった。
(わたしが帰れなくなったら、メリルだって)
「そ、そうだ、お金は必要ないだろうから、代わりに、これを上げるわ」
スウェナは腰にぶら下げてあった、水が入っている方ではない革袋の口を急いで開いた。
「干しぶどうと、パン。パンはあんまり甘くないけど、花の蜜につければきっとおいしいわ。あとほら、これ、水を腐らせないようにする石よ、これがあれば、雨水も少し綺麗になるし、日に何度も涌き水を探しにいって運んでこなくてもいいんだから」
スウェナが差し出したものを見て、ピクシーたちはしばらく警戒するようにその周りを遠巻きに羽ばたいていたが、スウェナが思いきって干しぶどうのひとつを摘んで差し出すと、向こうも思い切ったように近づいて、それを手に取り、口に運んだ。
「!」
そして、ピクシーの顔がパッと輝く。周囲の仲間を手招きして、小さなぶどうをさらに小さく千切り、小さな口に頬張り始めた。
あっというまにひとつを食べきってしまうと、ねだるようにスウェナな指や、髪を引っ張り始めた。
「痛、痛い、わかったわ、あとちょっとあげるから、引っ張らないで」
スウェナは慌てて革袋の中からさらに干しぶどうを取り出し、掌に載せた。
ピクシーたちはそれを両手で抱え、羽ばたいて、巣の方へと運んでいる。
「あのっ、ただであげたんじゃないのよ、ミルクと交換よ!」
全員が巣に入ってしまいそうになったので、スウェナはまた慌てて声を上げた。
まだ入っていなかったピクシーが四匹ほど、スウェナの声に反応して振り返る。すぐにまたスウェナの方へ戻ってきた。
くすくすと、みんな楽しそうに笑っている。
「ええと、わたしの言ってること、わかる……?」
泣きそうになりながら、スウェナはピクシーたちに訊ねた。自分のなけなしの魔力に望みをかける。言葉自体が通じなくても、何を訴えているのか気づいてほしい。
するとピクシーが、スウェナの両方の手の指をぎゅっと握った。促すように、その手を持って、円の中へと進み始める。
スウェナはピクシーの誘いに従って、おそるおそる歩き始めた。歩きづらいので、途中でメリルのくれた杖を地面に落とす。
ピクシーたちは、自分たちの住処の方へスウェナを連れていった。これは通じたのかしら、と期待に胸を膨らませるスウェナの気持ちとは裏腹に、ピクシーたちはその向こうへとさらに進んでいく
落胆しながらも、スウェナは彼女たちの家を踏みつぶさないよう注意して、それを跨いだ。
「ね、ねえ、どこに連れていくの?」
訊ねても、ピクシーはくすくす笑いばかりで応えようともしない。スウェナは何だか怖ろしくなってきた。
引き返した方がいいかもしれない、そう思った刹那。
「き……」
足許の地面が、消えた。
「きゃあああああああ!」
崖だ、と気づいた時にはスウェナの体はその表面に沿って下方へと滑り落ちていた。手足や体をあちこちにぶつける痛みより、恐怖の方が勝ってスウェナは悲鳴を上げ続ける。
そして、意識の暗転。
最後にゴツンと、何か固いものが頭に当たった衝撃で、気絶した。
次に目を開けた時、辺りはすっかり薄闇に包まれていた。
「い、痛たた……」
気がついた瞬間、スウェナは声を上げ、自分の頭の上を無意識に撫でた。大きなたんこぶができている。
「何なの、もう……」
どうやらピクシーに弄ばれたらしい。地面にひっくり返っている自分の惨状と共に、スウェナは思い至った。口惜しいというより情けない。起きるなり泣きそうになりながら、だがいつまでひっくり返っていても仕方ないと、身じろぎして、地面から体を起こした。
さいわい、あちこち切り傷や打撲傷はできているが、骨が折れたり、ひどく痛めたりしているところはないようだった。すぐそばにある崖のを見上げると、そのてっぺんは見えないが、ものすごい高さという感じでもなかった。地面に草が繁っていたのも幸いだったのだろう。
溜息をつき、起き上がろうとその草の地面に手をついたスウェナは、指先に固いものが当たる感触に、首を傾げた。
「あっ」
見下ろすと、なぜか、メリルのくれた杖が転がっている。木に目印をつけるために作った布きれが巻きつけてあるので、間違いない。きっとこれが、気絶する寸前スウェナの脳天に命中したのだ。
――それに。
「嘘……」
杖のそばに、ままごと用のような、小さなバケツがそっと置かれていた。
本当に小さい、掌に載せてもあまるようなサイズのバケツの中には、乳白色の、とろみがかかった液体がなみなみ注がれていた。
急いでそのバケツをつまみ上げ、鼻先に近づけてみると、ひどく甘ったるい匂いがする。
「妖精の、ミルクだわ……」
スウェナはもう一度、崖の上の方を見上げた。もちろんピクシーの姿は見えない。
だが彼女たちは、気を失ったスウェナのそばにこれを運んで、ついでに杖も返してくれたのだ。
「ありがとう……ありがとう!」
聞こえないと思いながらも、スウェナは崖の上に大きな声をかけた。
そしてミルクを零さないよう細心の注意を払いながら、バケツを大事に片手に握り込み、杖をついて立ち上がる。
もうメリルのそばを離れてから、ずいぶん時間が経ってしまった。
早く戻らなくてはならない。
(でも、ここ、どこなの?)
ピクシーをみつけてから、その姿を追うのに精一杯で、木に布の目印を括ることもできなかった。そもそも、自分の力と体力で、落ちてきた崖を登り切れるとも思えない。
困り果て、周囲を見回したスウェナは、またあっと声を上げた。
少し行った先の方、その木に、見覚えのある布が見えた。
駆けて行ってたしかめると、それは間違いなく、スウェナの巻きつけた服の切れ端だった。
「あっちこっち歩いて、またここに、戻ってきてたんだわ……」
高さは異なれど、場所は一度来た辺りに、妖精の住処があったらしい。
スウェナは自分の幸運に心から感謝して、とにかく次の目印を捜すために、往き道の記憶を呼び起こしながら歩き始めた。
◇◇◇
涌き水の近くまで戻ると、メリルはすでに目を覚ましていたようだった。
木に凭れるようにして身を起こし、足音に気づいて、不興顔をその方へと巡らせた。
「いったい、こんな夜になるまでどこを遊び歩いて――」
言いかけた途中で絶句したメリルのところに、スウェナは杖を投げ出し、顔をほころばせながら駆け寄った。
「起き上がれるのね、メリル」
すでに星空だ。その星明かりだけでは顔色まではよく見えなかったが、とにかくメリルが自力で起き上がっている。それが嬉しくて、スウェナは泣き顔で笑いながら、メリルの横に跪いた。
「おい、何なんだ、その格好は」
「え、格好?」
スウェナはメリルの問いを喜びのあまり適当に聞き流しながら、掌で大事に握っていたミルクが無事なことをたしかめた。
自分の服のあちこちに鉤裂きができ、泥にまみれ、体のあちこちが切り傷と血と痣でひどいことになっているなんて、気にならなかった。その痛みも。
「これ、飲んでください」
スウェナが小さなバケツを目の前に差し出すと、その姿に目を見開いていたメリルが、思い切り顔をしかめた。
「何だ、臭い! 甘臭い!」
「妖精のミルクです、これを飲んだら、きっとすぐ元気になるわ」
「嫌だ、臭い! だいたいあの乳臭いピクシー共が嫌いなんだ俺は!」
メリルは本気で嫌がっているらしく、ミルクから思い切り顔を背けている。
「駄目よ、飲んで。とても力が出るはずなのよ、ほら」
スウェナはバケツを押し遣ろうとするメリルの腕からミルクを庇い、自分の指先を、そこに浸した。
どうにか隙をついて、ミルクのついた指をメリルの唇につける。
「……ッ」
「ためしに、ちょっとでいいから」
反射的に口許を拭おうとするメリルの片腕を何とか押さえ、スウェナは指をさらにその唇の中に突っ込んだ。
メリルは力一杯眉をひそめたが、やがて諦めたように目を瞑り、大人しくスウェナの指についたミルクを舐め始めた。
スウェナはほっとして、もう一度、今度は先刻よりもたっぷりとミルクを指につけ、再びメリルの口に運ぶ。
何度か繰り返すうち、もともと量の少ないミルクは、もうバケツの中に数滴しか残らなくなっていた。
「もういい、甘い。臭い」
うんざりしたように、メリルが再びスウェナから顔を背ける。
だが、触れたままの彼の腕が、ミルクを飲み始める前よりも、ほんのわずかに温かくなっている気がして、スウェナはたとえようもなく安堵した。
(よかった、効いてるんだわ)
心なしか、ぐったりと木に凭れるだけだった体にも、力が湧き出しているような雰囲気がしていた。
「あともうちょっとだけ、最後まで、ね」
「自分で飲め」
顔を背けたまま、メリルはスウェナの手を振り払い、腕組みして不機嫌な声で言った。
「その傷だらけ痣だらけの体が、そばにいるのも見苦しい。少し飲めばそこそこ回復するようだから、残りは貴様が飲め」
「……」
――きっと、メリルは、自分の怪我を気にしてくれているのだ。
妖精のミルクを取るためにボロボロになった体を心配して、少しは自分のために役立てろと言っている。
スウェナはそう察して、頷くと、残りわずかになったミルクを指で拭って、今度は自分の口に運んだ。
たしかに、甘い。今まで飲んだどんなミルクよりも甘ったるく、その上何となく青臭い。思ったよりおいしくない。というかまずい。メリルが嫌がるはずだ。
だがそれを口にした瞬間、スウェナの体の中にじわじわと痺れるような感覚が拡がり、あちこちの熱や痛みが徐々に鎮まっていくのがわかった。
「すごい……薬草なんて、較べものにならないわ……」
それでもやはり量が少なくて、スウェナの怪我や疲れをすべて取ってしまうまでは至らない。
自分よりよほどひどい状態に見えたメリルが、たったあれっぽっちのミルクで果たして回復できたのだろうかと、スウェナは不安でその顔を覗き込む。
視線を感じたのか、きつく眉をひそめたメリルが片目を開けた。
睨まれて、その視線の強さに、相手が少しは元気になったことを察し、スウェナは嬉しくなった。
「おなかは空かないんですよね。でも、味がわかるのなら少しだけでも食べませんか?」
携帯していた干しぶどうは全部ピクシーにあげてしまった。スウェナはメリルのそばに置いてある、自分の大きな荷物の中を探り、甘く煮詰めたリンゴを選んで差し出した。
「人間と同じ体でできてるのなら、少しは元気になるかもしれないわ」
呼びかけても、面倒なのか再び目を閉じてしまい、メリルは応えない。
スウェナはリンゴを小さくちぎって、その唇に当てた。
メリルが口を開いたので、果物を中に入れてみる。もぐもぐとメリルの口が動いたので、スウェナはほっとして笑う。
間近でじっと見ると、ミルクを与える前よりもメリルの顔色がちょっとだけよくなっているのがわかった。
「干し肉はどうですか? 固いから噛むのは大変かもしれないけど、塩気があるから、病気の時とかにはいいんです」
メリルがまた口を開ける。スウェナは急いで干し肉も細かく裂いて、その口に入れた。
メリルはまた黙ってそれを食べている。
ごはんが食べられるのなら安心だと、スウェナはまた嬉しくなった。
メリルのこの体がどこまで自分たちと一緒なのかはわからないが、食べ物は魔力で代替できるとメリルは言った。本来の体に戻れないせいでメリルの魔力が弱っているのなら、食事で力を得るしかないだろう。
「お水がもっとほしかったら、言ってくださいね」
そう呼びかけながら、スウェナはメリルの額にかかった髪が邪魔そうに見えて、それを指先でどけた。メリルが、どことなく心地よさそうな顔でおとなしくしている。
遠くで怪鳥の鳴く声がする。さわさわと、夜風で森の樹が揺れていた。
魔物だらけの森なのに、スウェナは変に穏やかな気分になって、メリルの額をそっと撫で続ける。
(意地悪を言わないで、いつもこうやってしててくれればいいのに)
小さな弟や妹を寝かしつけている気分になっている自分に気づいて、スウェナはひとりくすっと笑った。
スウェナの笑った気配に気づいて、メリルが怪訝そうに瞼を開いた。
「何がおかしい」
「いえ……家を出てから、どうしてわたしがってずっと思ってたんだけど。今も同じことを思ってるのに、何となく気分が違うからおもしろいなって」
「何が違う」
「最初は、どうしてわたしがこんな大変な目にってばっかり。だけど今は、自分が竜公爵のそばでこんなことをしているなんて、ただ、不思議だなあとか……」
メリルの皮膚は、固いのになめらかだ。傷ひとつなくて、とても綺麗。
「何が起きるかなんて、わからないんだわ。わたしは小さい頃に本当のお母さんを亡くして、新しいお母さんが来て弟たちが生まれてから何となく家に居場所がなくて、魔法学校に行ったけど落ちこぼれでやっぱりそこにも居場所がなくて……自分がどこに行くべきなのか、ずっと知りたかったの。今は、あなたとジャニスのところに行くべきだってわかってるから、もしかしたらそれはずいぶん倖せなことなのかもしれない」
具体的に考えていたことではないのに、メリルの前で、スウェナはすらすらと言葉が出てきて自分でも驚いた。
「泣き言ばっかり言ってごめんなさい、わたし、がんばるから。自分が怪我をしたり、痛い目を見るのなんて慣れっこだったけど、メリルが辛い思いをするのは嫌だわ」
メリルの看病をしながら、妖精のあとをつけながら、スウェナはずっとそんなことを感じていた。
自分が痛いのは自分が我慢すればいい。けれど目の前で誰かがひどい目に遭うのは自分がそうなるより辛かった。
「だからわたし、もっとがんばることにしたの。どうしてわたしがって、そんなこと考えないで、あなたとできるだけ早くジャニスのところに辿り着くように一生懸命歩く。魔物に襲われても、罠にはまっても泣かない。だからメリル……またいろいろ教えてね。わたし、文句なんか言わずにちゃんと覚えるから」
「……」
メリルは眉をひそめてスウェナを見ていた。
もしかしたらメリルにとっては意味のない、くだらないことを言ってしまったかしらと、スウェナは少し不安になる。
「……気づくのが遅いんだ」
瞳を覗き込むスウェナからふいと目を逸らし、メリルはそうぶっきらぼうに呟いた。スウェナが触れると、目許が少し熱い。魔物の化身にも、体温があることをスウェナは知った。
「ごめんなさい」
最初会った時も、一緒に旅をする間も恐ろしかったメリルが、スウェナにはもう怖くない。
疲れて木に寄り掛かっている姿を見てそんなことを思うのは失礼かもしれないが――自分の手からミルクや食事をとるメリルの姿は、どこか可愛らしかった。
(わたしが自分に害をなす者だなんて、思ってもいないんだわ)
魔物のくせに、メリルは人間との距離が近い気がする。
本当は、スウェナの家に来た最初の時から、問答無用で宝珠を取り戻すことだってできたはずだ。説明もなく、慈悲もなく、殺して食べてしまえばよかった。
なのに、メリルはそうしなかった。
(変な魔物……)
スウェナがこれまでに出会ったのは、残酷で、人間なんて餌かおもちゃにしか思っていない魔属ばかりだった。下級魔属と契約する力もないスウェナは、からかわれてもてあそばれて、殺されかけたことも数え切れないくらいだ。
メリルだって、スウェナに向かって引き裂いてやるとか喰ってやるとか脅しはするが、しかし実際のところ、本当に手出ししてきたことは一度もなかった。
スウェナのそばで、メリルはふたたび瞼を閉じている。いつの間にか眠ってしまったらしい。
疲労の色が消えきってはいないが、起きている時よりずっと、険の取れた穏やかな顔つきをしていた。
(わたし、この人のこと、守りたい)
人ではないし、非力な自分ごときが魔属の中でも強大な力を持つドラゴンを守りたいと思うなど、ばかげているのかもしれない。
だがスウェナは心からそう思った。
メリルと旅に出て、六日目のことだった。