【12】伝説の魔女と失恋竜と契約の花嫁
「ずいぶんな反応ね、二百七十五年と百二十五日ぶりに会った友人との再会だっていうのに」
メリルの反応を見て、女性が呆れたように両手を腰に当てた。
(これが、魔女ジャニス……)
スウェナの想像とはまったく違う姿だった。
稀代の魔女、この世にあるただひとりの賢者といわれるのは、人々に語られるほど恐ろしい威厳に満ちているわけではなく、赤茶けた髪と痛々しいくらい骨張った体を持つ、若い女性だった。
「なぜ……もう、その姿では会えないと……」
メリルは唖然とした様子でジャニスを見上げている。
ああ、とジャニスは頷きながら自分の体を見下ろした。
「これは見せかけ、ね。この森でなくちゃこの形は取れないわ。それに、長い時間は保てない」
「……」
「あなたたちの気配を感じてすぐ、拡散した意識を集めて、自分の姿を思い出そうとしてたの。ずいぶんかかっちゃったわ、自分の見てくれなんかあんまり興味がなかったから、あなたの記憶を使わせてもらった」
すると自分が今見ているのは、ずっと昔にメリルが見ていたジャニスの印象ということなのだろう。スウェナはそう納得する。
「それより服くらい着せてあげなよ、相変わらず野暮天ね、メリル」
「あっ、きゃ、ご、ごめんなさい」
溜息をつくジャニスに、スウェナは身を縮こまらせた。伝説の魔女の目前だというのに、この有様。スウェナは恥ずかしさのあまり眩暈がしてくる。くらくらしながら、急いで服を身につけた。
身繕いしてから、そっとジャニスを見上げると、目が合ってにこっと笑いかけられる。スウェナは明るいその笑顔が正視できず、俯いてしまった。
(この人が、メリルの……)
自分がここにいていいのかわからず、スウェナは心許ない気分になる。
「あなたたちが何のためにここに来たかは、知ってるわ」
スウェナたちが説明するまでもなく、ジャニスはそう言った。
この世のすべての知識を得るために存在する賢者に、わからないことはないと、スウェナは魔法学校でそう習った。
「……どうすればいい」
無愛想にメリルが訊ねる。
「どうすれば、スウェナを殺したりせず、俺の竜珠を取り戻すことができる」
(メリル……)
メリルは自分を殺したくないと思ってくれている。
(それだけで充分だわ)
たとえ自分を殺す以外に方法がなくても、その運命が恐ろしいなんてスウェナは思わない。
ぎゅっと両手を握り締めるスウェナを見て、ジャニスがもう一度笑った。
「珠を取り出すには」
ジャニスの言葉に、スウェナもメリルも身じろぎせず聞き入る。
ジャニスがすっと片手を上げ、スウェナの体を指さした。
「十月十日待てばいい」
「は……?」
「え……?」
スウェナとメリルは、同時にジャニスの指さした部分を見下ろした。
スウェナの、柔らかい腹部。
「その間力を得る方法はもうわかっているでしょう。竜本体も、彼女がいれば朽ちることはないわ。そして待てば、彼女の中から新しい竜珠が生まれる。あなたたちの子供と一緒にね」
「赤……ちゃん……?」
呆然と――スウェナは呟いた。
まったく思ってもいない答えだった。
「子供、だと……?」
メリルも唖然とした顔で、スウェナの体をみつめている。
「プロポーズはきちんとなさいな、メリル・マディナータ・メレル。万が一にも女の子の方から先に言わせるようなことがあれば、男の沽券に関わるわ」
「な……」
怒った赤い顔で自分を見上げたメリルに、ジャニスがにっこりと笑う。
「可愛い子をみつけたじゃないの。逃げられないようにしなくちゃ駄目よ、二度も人間の女に失恋したなんて知れたら、竜公爵の名が泣くわ」
「……うっ、うるさい!」
メリルは声を荒らげると勢いよく立ち上がり、逃げるようにジャニスやスウェナの前から大股に歩き去っていった。
「あっ……」
「やだわ、相変わらず気の短い」
しれっとした顔で、ジャニスが言って肩をすくめる。
スウェナはこわごわと彼女を見上げた。
ジャニスからは、またにこっと、明るい笑顔が返ってきた。
「ごめんね。ふたりきりで話したかったの」
どうやらジャニスはわざとメリルをからかって、怒らせて、この場から立ち去らせたらしい。
魔物を手玉に取るなんて、さすが魔女だと、スウェナはひっそり呆れたような、感心した心地になる。
「あたしに聞きたいことがあるようね?」
微笑んだまま、ジャニスがスウェナに訊ねる。
スウェナは自分の胸に当てた拳を、ぐっと握り込んだ。
「魔女ジャニス、あなたは……メリル・マディナータ・メレルのことを」
「うふふ」
精一杯の勇気で言ったスウェナに、ジャニスが笑いを返す。
笑われた、と羞恥に赤くなるスウェナに気づいて、ジャニスが自分の口を指で押さえた。
「違うわ、誤解させたのならごめんなさい。嬉しかったの。あなたが、メリルのことを本当に好きだとわかるから」
「……」
スウェナはジャニスをみつめる。よく見ると、ジャニスの体はほんのわずかに透けて、向こうの景色が見えていた。輪郭がときおり震えるようにぼやける。
「なぜ……メリルのことを選ばなかったのですか」
ジャニスは微笑んだままスウェナを見返している。
「あなたは、この森でメルディアを守るだけではなく、メリルと共に行く未来も選べたのでしょう?」
「そうねえ……うん、そういう方法はあったんだろうけど」
少し考えてから、ジャニスは小さく肩をすくめた。
「でも無理だったの。彼はとてもいい友人だとあたしは思ってたけど、何ていうのかしらね。本当にただの、友人だったのよ」
ジャニスは小声になっている。
「メリルには内緒よ、繊細だから泣いちゃうわ。単純にタイプじゃなかったとか、そういうのはさ。でもあるでしょ? いい人だけどそれだけって」
「……そ……そう……」
意外な答えに、何と相槌を打っていいものかわからず、スウェナは困惑した。
「でもきっと、メリルのせいだけじゃないのね。あたしにその資質がなかったの」
「資質……」
「恋をする資質」
笑ったジャニスの表情は、少しだけ寂しそうにスウェナの目には映った。
「あたしには誰かに恋する余裕なんてなかった。愛するとか愛されることなんて理解できなかった。誰にも手に入れられない魔力や知識を持つ代わりに、誰もが持つ恋する心を手に入れることができなかったのね。それはきっととても悲しくて寂しいことで、今でも……人としての意識もおぼろげになりかけているこんな身でも、時々ただ寂しいと、辛くなるけど」
「……」
「でもよかった。メリルが愛して、メリルを愛することのできる人が現れて、あたしははじめて自分が倖せだと思ったわ。メリルもずっと寂しがってた。その想いに応えられなかったことが、この三百年近くずっと、気懸かりだったから」
ジャニスの表情から寂しさが消え、晴れ晴れとした笑顔になっている。
言葉とおり、幸福そうな笑顔だった。
「メリルと仲よくしてあげてね。あなたたちのいる世界なら、あたしも守り甲斐があるわ」
スウェナはそっと、自分の腹部に触れた。
「あの……ただの人間であるわたしが、ドラゴンとの、け、結婚とか、子供なんて、大丈夫なのかしら……」
ドラゴンと言っても、今のメリルの姿はかりそめのものだ。自分の体に宿ったのが竜の形をしているのか、人間の形をしているのか、考えるだけでスウェナは途方に暮れてしまう。
「大丈夫よ、これまでにも魔属とヒト属との混血の例はあるわ。どんな子供でも、生まれたら何とかなるもんよ」
ジャニスがもっともらしく、人差し指を立てて言った。
この世界の智慧のすべてを知ると言われる魔女の断言に、スウェナは少なからずほっとする。
「でも、なぜ、こんなことになってしまったのかしら」
たった一ヵ月たらずの間に、激変した自分の運命を、スウェナは不思議に思った。
才能がなくて魔法学校を追い出され、竜珠を呑み込み、魔属であるドラゴンと旅して、今は伝説の魔女が目の前にいる。
「後悔してるの?」
「いいえ」
質問されて、スウェナは即座に首を横に振ることができた。
「それが幸福だと受け入れます。でも……やっぱり、不思議なの。なぜ竜珠がわたしの中に入ったのか、なぜメリルと契約できたのか、なぜ……」
たくさんの疑問を挙げるスウェナを見つめながら、ジャニスが微笑み、そしてその輪郭のぶれが次第に大きくなっていった。
「……あっ……!」
先刻よりも、ジャニスの向こうの景色が鮮明になってきている。
「待って、メリルを呼ぶわ、まだ行かないで!」
メリルはまだジャニスと満足に話していない。メリルだって、彼女に会いたかったはずなのに。
「ジャニス!」
魔女はもう何も言わず、ただ微笑んでいた。瞼がゆっくりと降りていく。眠りに就くのだ、とスウェナにもわかった。
いつか再びメリルに会うために辛うじて保ち続けていたジャニスという人間としての意識も失い、自然に溶けて、世界に散らばる智慧を集め続ける。
「……ジャニス……」
スウェナの目から涙が溢れ出た。ジャニスは自分の選んだ運命を受け入れて、きっと幸福だと言うはずだから、悲しいわけではないのに涙が止まらない。
涙で滲むスウェナの視界の中に、もうその人の姿は、ない。
メリルの反応を見て、女性が呆れたように両手を腰に当てた。
(これが、魔女ジャニス……)
スウェナの想像とはまったく違う姿だった。
稀代の魔女、この世にあるただひとりの賢者といわれるのは、人々に語られるほど恐ろしい威厳に満ちているわけではなく、赤茶けた髪と痛々しいくらい骨張った体を持つ、若い女性だった。
「なぜ……もう、その姿では会えないと……」
メリルは唖然とした様子でジャニスを見上げている。
ああ、とジャニスは頷きながら自分の体を見下ろした。
「これは見せかけ、ね。この森でなくちゃこの形は取れないわ。それに、長い時間は保てない」
「……」
「あなたたちの気配を感じてすぐ、拡散した意識を集めて、自分の姿を思い出そうとしてたの。ずいぶんかかっちゃったわ、自分の見てくれなんかあんまり興味がなかったから、あなたの記憶を使わせてもらった」
すると自分が今見ているのは、ずっと昔にメリルが見ていたジャニスの印象ということなのだろう。スウェナはそう納得する。
「それより服くらい着せてあげなよ、相変わらず野暮天ね、メリル」
「あっ、きゃ、ご、ごめんなさい」
溜息をつくジャニスに、スウェナは身を縮こまらせた。伝説の魔女の目前だというのに、この有様。スウェナは恥ずかしさのあまり眩暈がしてくる。くらくらしながら、急いで服を身につけた。
身繕いしてから、そっとジャニスを見上げると、目が合ってにこっと笑いかけられる。スウェナは明るいその笑顔が正視できず、俯いてしまった。
(この人が、メリルの……)
自分がここにいていいのかわからず、スウェナは心許ない気分になる。
「あなたたちが何のためにここに来たかは、知ってるわ」
スウェナたちが説明するまでもなく、ジャニスはそう言った。
この世のすべての知識を得るために存在する賢者に、わからないことはないと、スウェナは魔法学校でそう習った。
「……どうすればいい」
無愛想にメリルが訊ねる。
「どうすれば、スウェナを殺したりせず、俺の竜珠を取り戻すことができる」
(メリル……)
メリルは自分を殺したくないと思ってくれている。
(それだけで充分だわ)
たとえ自分を殺す以外に方法がなくても、その運命が恐ろしいなんてスウェナは思わない。
ぎゅっと両手を握り締めるスウェナを見て、ジャニスがもう一度笑った。
「珠を取り出すには」
ジャニスの言葉に、スウェナもメリルも身じろぎせず聞き入る。
ジャニスがすっと片手を上げ、スウェナの体を指さした。
「十月十日待てばいい」
「は……?」
「え……?」
スウェナとメリルは、同時にジャニスの指さした部分を見下ろした。
スウェナの、柔らかい腹部。
「その間力を得る方法はもうわかっているでしょう。竜本体も、彼女がいれば朽ちることはないわ。そして待てば、彼女の中から新しい竜珠が生まれる。あなたたちの子供と一緒にね」
「赤……ちゃん……?」
呆然と――スウェナは呟いた。
まったく思ってもいない答えだった。
「子供、だと……?」
メリルも唖然とした顔で、スウェナの体をみつめている。
「プロポーズはきちんとなさいな、メリル・マディナータ・メレル。万が一にも女の子の方から先に言わせるようなことがあれば、男の沽券に関わるわ」
「な……」
怒った赤い顔で自分を見上げたメリルに、ジャニスがにっこりと笑う。
「可愛い子をみつけたじゃないの。逃げられないようにしなくちゃ駄目よ、二度も人間の女に失恋したなんて知れたら、竜公爵の名が泣くわ」
「……うっ、うるさい!」
メリルは声を荒らげると勢いよく立ち上がり、逃げるようにジャニスやスウェナの前から大股に歩き去っていった。
「あっ……」
「やだわ、相変わらず気の短い」
しれっとした顔で、ジャニスが言って肩をすくめる。
スウェナはこわごわと彼女を見上げた。
ジャニスからは、またにこっと、明るい笑顔が返ってきた。
「ごめんね。ふたりきりで話したかったの」
どうやらジャニスはわざとメリルをからかって、怒らせて、この場から立ち去らせたらしい。
魔物を手玉に取るなんて、さすが魔女だと、スウェナはひっそり呆れたような、感心した心地になる。
「あたしに聞きたいことがあるようね?」
微笑んだまま、ジャニスがスウェナに訊ねる。
スウェナは自分の胸に当てた拳を、ぐっと握り込んだ。
「魔女ジャニス、あなたは……メリル・マディナータ・メレルのことを」
「うふふ」
精一杯の勇気で言ったスウェナに、ジャニスが笑いを返す。
笑われた、と羞恥に赤くなるスウェナに気づいて、ジャニスが自分の口を指で押さえた。
「違うわ、誤解させたのならごめんなさい。嬉しかったの。あなたが、メリルのことを本当に好きだとわかるから」
「……」
スウェナはジャニスをみつめる。よく見ると、ジャニスの体はほんのわずかに透けて、向こうの景色が見えていた。輪郭がときおり震えるようにぼやける。
「なぜ……メリルのことを選ばなかったのですか」
ジャニスは微笑んだままスウェナを見返している。
「あなたは、この森でメルディアを守るだけではなく、メリルと共に行く未来も選べたのでしょう?」
「そうねえ……うん、そういう方法はあったんだろうけど」
少し考えてから、ジャニスは小さく肩をすくめた。
「でも無理だったの。彼はとてもいい友人だとあたしは思ってたけど、何ていうのかしらね。本当にただの、友人だったのよ」
ジャニスは小声になっている。
「メリルには内緒よ、繊細だから泣いちゃうわ。単純にタイプじゃなかったとか、そういうのはさ。でもあるでしょ? いい人だけどそれだけって」
「……そ……そう……」
意外な答えに、何と相槌を打っていいものかわからず、スウェナは困惑した。
「でもきっと、メリルのせいだけじゃないのね。あたしにその資質がなかったの」
「資質……」
「恋をする資質」
笑ったジャニスの表情は、少しだけ寂しそうにスウェナの目には映った。
「あたしには誰かに恋する余裕なんてなかった。愛するとか愛されることなんて理解できなかった。誰にも手に入れられない魔力や知識を持つ代わりに、誰もが持つ恋する心を手に入れることができなかったのね。それはきっととても悲しくて寂しいことで、今でも……人としての意識もおぼろげになりかけているこんな身でも、時々ただ寂しいと、辛くなるけど」
「……」
「でもよかった。メリルが愛して、メリルを愛することのできる人が現れて、あたしははじめて自分が倖せだと思ったわ。メリルもずっと寂しがってた。その想いに応えられなかったことが、この三百年近くずっと、気懸かりだったから」
ジャニスの表情から寂しさが消え、晴れ晴れとした笑顔になっている。
言葉とおり、幸福そうな笑顔だった。
「メリルと仲よくしてあげてね。あなたたちのいる世界なら、あたしも守り甲斐があるわ」
スウェナはそっと、自分の腹部に触れた。
「あの……ただの人間であるわたしが、ドラゴンとの、け、結婚とか、子供なんて、大丈夫なのかしら……」
ドラゴンと言っても、今のメリルの姿はかりそめのものだ。自分の体に宿ったのが竜の形をしているのか、人間の形をしているのか、考えるだけでスウェナは途方に暮れてしまう。
「大丈夫よ、これまでにも魔属とヒト属との混血の例はあるわ。どんな子供でも、生まれたら何とかなるもんよ」
ジャニスがもっともらしく、人差し指を立てて言った。
この世界の智慧のすべてを知ると言われる魔女の断言に、スウェナは少なからずほっとする。
「でも、なぜ、こんなことになってしまったのかしら」
たった一ヵ月たらずの間に、激変した自分の運命を、スウェナは不思議に思った。
才能がなくて魔法学校を追い出され、竜珠を呑み込み、魔属であるドラゴンと旅して、今は伝説の魔女が目の前にいる。
「後悔してるの?」
「いいえ」
質問されて、スウェナは即座に首を横に振ることができた。
「それが幸福だと受け入れます。でも……やっぱり、不思議なの。なぜ竜珠がわたしの中に入ったのか、なぜメリルと契約できたのか、なぜ……」
たくさんの疑問を挙げるスウェナを見つめながら、ジャニスが微笑み、そしてその輪郭のぶれが次第に大きくなっていった。
「……あっ……!」
先刻よりも、ジャニスの向こうの景色が鮮明になってきている。
「待って、メリルを呼ぶわ、まだ行かないで!」
メリルはまだジャニスと満足に話していない。メリルだって、彼女に会いたかったはずなのに。
「ジャニス!」
魔女はもう何も言わず、ただ微笑んでいた。瞼がゆっくりと降りていく。眠りに就くのだ、とスウェナにもわかった。
いつか再びメリルに会うために辛うじて保ち続けていたジャニスという人間としての意識も失い、自然に溶けて、世界に散らばる智慧を集め続ける。
「……ジャニス……」
スウェナの目から涙が溢れ出た。ジャニスは自分の選んだ運命を受け入れて、きっと幸福だと言うはずだから、悲しいわけではないのに涙が止まらない。
涙で滲むスウェナの視界の中に、もうその人の姿は、ない。
◇◇◇
茫然と涙をこぼし続けるスウェナは、横から草の揺れる気配に気づいた。
振り向かなくてもわかる。メリルだ。
「ジャ、ジャニス……行っちゃ……」
「ああ。俺も今会った。――笑っていた」
最後に、メリルも彼女に会えたのだ。
(よかった)
安心したのに、涙腺が壊れてしまったかのようにスウェナは涙が抑えられなくなった。
(もう泣かないって、決めたのに)
でもそれでもいい気がした。自分を哀れんで口惜しくて泣く涙でないのなら。
スウェナはごしごしと目許を擦ってから、立ち上がった。歩み寄ってくるメリルの方へ、自分からも近づく。
「メリル……お願いをしてもいい?」
心は不思議と落ち着いている。
目の前にいる人の姿をしたものに対する愛情だけが、スウェナの胸の中に溢れていた。
「わたしね」
「待て」
「わたしをあなたの」
「待てというのに!」
スウェナの台詞を、メリルの必死な大声が遮った。
「釘を刺されたのにおまえに先に言われては、この上男としての――いや魔属としての恥だ。生き恥だ」
ぶつぶつ呟いてから、メリルが一度下を向き、それからぐっと顔を上げて、スウェナのことを見遣った。
「俺がこの先ずっとそばにいて、おまえのことを守ってやる。だからおまえは、俺と一緒にいろ。死ぬまでそばにいろ」
まるで脅すような語調だったが、スウェナはそれでもやっぱり、倖せだった。
「はい」
頷いた瞬間、背中を抱き寄せられた。
抱き潰して殺すつもりなんじゃないかと疑いたくなるような強さだったが、スウェナは抵抗もせず、自分もメリルの背中に両手を回した。