大人になってからそこそこ偏食が治った話
出されたものは何でも食べるという人から見たらまだまだ充分偏食だろうけど、子供の頃あまりに食べられないものが多かったので、最近それが改善されていることが嬉しい。
劇的なのがトマトで、これはたしか三年くらい前から、急に食べられるようになった。
「口に入れることすらどうしても無理」という食べ物と、「苦手でものすごく不快になるけどどうにか飲み込める」という食べ物があって、トマトは前者だった。
酸っぱいのも嫌だったし、内臓(と勝手に呼んでいるが、胎座とゼリー状の部分)の感触が怖すぎて、噛めないし飲み込めない。
人との食事で残すのが失礼…という時には死物狂いで食べるけど、飲み込んだ瞬間ものすごい震えが湧き上がるし、しばらく気持ち悪くて喋れなくなった。
三年くらい前に友達と外食した時、頼んだサラダにミニトマトがついていた。
ミニトマトは、黄色いのや緑のもあって、ちょっと驚いた。
スーパーなどでも意図的にトマト売り場に近づかないようにしていたので、赤以外のトマトがあることを知らなかったのだ。
赤いミニトマトも、私が知っているトマトよりも鮮やかで、キラキラしていて、宝石のように見えた。
たぶん、色が変わっていたから、長年苦手だった味や感触と印象が切り離されて、「綺麗だからちょっと食べてみよう」という気になったんだと思う。
食べてみたらそのトマトはどれもすごく甘くて、苦手な酸味がまったく感じられず、とにかくおいしかった。
おいしいおいしいと、結構な数を食べた。
そのおいしさが忘れられず、スーパーで似たような黄色いミニトマトを買って食べてみた。
お店で食べたのよりは若干酸味があったし、そこまで甘くなかったけれど、「結構おいしいな」と感じた。
そこから不思議と、普通の赤いミニトマトが食べられるようになり、気づいた時には大きなトマトも食べられるようになった。
というタイミングで、友達がトマト農家で働き始めたからと、一箱トマトを送ってくれた。
その時に、以前なら絶対食べようとしなかったであろう「トマトリゾット」を作る気になった。ちょうどTwitterの時短レシピとしてバズっていたのが、やけにおいしそうに見えたのだ。
そしてそれを食べた瞬間から、トマトは私の好きなもののひとつに成り上がったのだった。
いやあびっくり。
一生相容れないと思っていたのに、苦手を克服するどころか、むしろ好きになるとは…。
といっても酸味が強いのはやっぱり苦手だし、その日の気分によっては「やっぱり内臓が気持ち悪いから無理…」となってしまうんだけど、みずから「今日はトマトが食べたい!」って思う時が来るなんて、考えたこともなかった。
こんな感じで、「苦手だったはずが急に好きになった」ものが、いくつか生まれた。
目立ったところでは「白飯」「チョコレート」「コーヒー」。
白飯自体は食べられないということはないけど、まったく興味がなかった。テーブル上になくてもいいので、一人暮らしの頃はめったに買わなかった。
おかゆや重湯になると積極的に嫌いで、一人暮らしを初めてから最初に入院した時は重湯をどうしても食べられずに、点滴で生き延びる日が続いてしまった。
おかゆや重湯は具合が悪い時に口にするせいか、匂いを嗅ぐと逆説的になんとなく気持ち悪くなることが多かったんだけど、この時の入院から完全に苦手になってしまった。
そうするとごはんが炊ける匂いも受け付けなくなり、白飯すら「なくてもいい」から「ない方がいい」というものに成り果てた。
とはいえ、カレーやおかずを乗っけて味がついているお米は結構好きで、ふりかけがあればまあまあ食べられた。
という感じだったのが、これも五年くらい前に山形に旅行に行った時、出てきたお米がおいしくておいしくて、感動した。
さらに、ルームシェアをするようになってから、お米がますます好きになってしまった。
同居人が白いお米に執着のある人で、米だけは妥協せずそこそこの値段のものを買い、これが大変においしいのだ。
普段割と穏やかでマイペースな同居人は、米の話をする時は眼光鋭くなり、「私は米を妥協しない」と圧の強い口調で言う。
そんな同居人の選んだお米は、炊きあがった時の匂いすらおいしそうに感じられるようになった。
あんなに苦手だったのに。
チョコレートは、これはもう十年くらい前になるけど、同居人からもらった海外の板チョコを分けてもらったのを食べたら、「私が知ってるチョコレートと違う…」と衝撃を受けるくらいおいしかった。
海外に行った家族が普通のお店で買ってきたという、個包装でもない、紙の箱にごそっと入っていたただの板チョコに見えたけど、あとで聞いたらゴディバのチョコレートだったらしい。
ゴディバをよく知らなかったけど、近所にお店があったので、しばらく「これはおいしいチョコレートです」とバカの一つ覚えみたいに人にプレゼントしていた…きっとみんな「知ってる」って思ったよね…ごめんね…。
一度ゴディバをおいしいと思ってから、シンプルな板チョコは結構好物になった。「カレ・ド・ショコラ」とか。
ゴディバでも中がぐちゃっとしているやつは苦手なままだし、リキュールが入っているもの、チョコレート以外の何かが混ざっているものは相変わらず食べられないんだけど、板チョコだけでも食べられるようになったのは驚いた。
コーヒーはやっぱり酸味が苦手で避けていたんだけど、同居人の淹れるコーヒーがハチャメチャにおいしくて、好きになってしまった。
こだわりがあるらしく、二種類の豆をブレンドして淹れている。淹れ方にもコツがあるっぽい。
とはいえ半分くらい牛乳を入れてカフェオレにするか、半分くらいお湯を入れてアメリカンにしないと飲めないので、すごく台無し感があって申し訳ないんだけど、こんなにコーヒーを飲む生活になるとは。
スタバやタリーズで普通にコーヒーを飲むようにもなってしまった。
医者にカフェイン駄目って言われてるのに。
こんな感じで、苦手だったものも、一度おいしいものを口に入れたら、それ以降はジェネリック品をも好きになるという現象が多々起きるようになった。
東京に来たら、おいしいものがいっぱいあったよ。
というか、書き出してみたら、おいしいものを食べたきっかけは全部同居人ではないか。
最初にミニトマトを食べた時も、同居人と一緒に店に入って、サラダをシェアしていた。
山形旅行も同居人と行った。
「苦手なものでも、一度とても美味しいものを食べたら、不思議と全部大丈夫になる」
という話を書こうと思っていたのに、
「おいしいものを知ってる同居人すごい」
みたいな話になっちゃったよ。まあいいか。
人と話していたら、やっぱり「苦手だったけど、おいしい””本物””を食べたらそれより味は劣るものでも食べられるようになった」ということが結構あるようだった。
苦手なものに対する意識が上書きされるのかな。
この調子で、いずれ生タマネギが克服できたら、食べられるものが増えるんだろうなあ。
【追記】
感謝を込めて食への探究心が豊かな同居人のごはんエッセイ本へのリンクを貼っておきます。