なつのひみつ
こないだ、友達のまんがの書評が載ってると聞いたので、へえ、と思って新聞を買ったら、隣のページに自分の本も紹介されててびっくりした。メールで教えてくださった方ありがとうございます、自分の本の記事には気づいてなかったので、そのまま捨てるとこでした。
取り上げていただいてありがたいことです。
新聞に載るのはたしか三回目です。
一回目は中学生の時、文化祭の企画で核廃絶運動みたいのをやって、その一環で各国の首相に「あんたんとこ核持ってんの? 持ってるとしたら何で持ってんの?」という問い合わせの手紙を出したら、某国の首相から返事があって、それを取り上げられたという。
中学生の頃はよくわかってなかったんですが、後になって、勝手に企画を立てた担任の先生が社会科担当で、君が代斉唱や国旗掲揚に反対していたことや、取材に来たのがその先生の友達だということを思い出して、何か「あー、なるほどー」ってなった。
わたしがいた中学はのんびりした公立で、ぼーっとした子供たちと、ゆるめ気質の先生ばっかだったので、その担任の先生が一生懸命国歌斉唱の時に唇をひき結んで椅子に座り続けていても、みんな「え? 何で? かわった人だなあ」くらいの反応でした(いやほかの先生方は困ってたのかもしれないけど)。
授業とかホームルームの時に激しい反戦論とか政府批判を繰り返していたのに、わたしたちはまったくピンとこなくて「……?」となっていたので、ちょっと悪いことをしたなあと思います。思想に賛同するか反対するかはともかく。
文化祭の時、先生は一生懸命核廃絶を訴えていたけど、わたしは何かもう、「原爆で亡くなった方の数だけ新聞や雑誌から顔を切り抜いて模造紙に貼る」という作業が大変だったことしか記憶にありません。
根がまじめなので、夏休み中毎日コツコツコツコツ顔を切り抜き続けました。陸上の全国大会で遠征とかしてたのに(これの結果の取材が新聞に載る二回目でした)、ずっと切ってたよ。はたから見たらちょっと心を病んでるふうだったんじゃないのか。
頑張っても亡くなった方の数には全然届かず、それでも千単位で隙間なく顔写真の並んだ模造紙を壁に飾ればものすごいインパクトで、正直見に来てくれた人も核廃絶への訴えよりも「それだけの数の顔写真が貼られた教室はものすごく禍々しい」ということしか記憶にないんじゃないだろうか。
いろいろ失敗してたなあ、あの先生…。
そういえば三者面談の時に「将来は小説家になります」って言ったら「夢を追うのはいいけど現実を見ろ」って言われたのを思い出し、先生の言うことを聞いて現実を見るような子供じゃなくてよかったなあって思いました。
反面教師、という言葉を見ると、いつもその先生のことを思い出す。
それはそれとして、新聞の取材が来た時、クラスの全体写真を撮るよと言われて、慌てて立ち上がろうとしたら膝に載せたお弁当を床に落としてしまって、ものすごい悲しかったことも思い出した。コロッケと赤いプチトマトがコロコロって勢いよく床を転がって、本当にすごい悲しかったのに、友達が爆笑して、半泣きになったなあ、とか。
わたしは結構お弁当をひっくり返すことが多くて、自分ってどうしてこうなんだろうなあって、もう長い間悲しく情けない気分を味わい続けています。
こないだまたパンツ裏返しにはいてることにトイレで気づいて、やりきれない気分になりました。
パンツはいいとして、一国の首相から中学生にていねいな返事が来たというのは、すごいなあと子供心に感動したんですが(代理の人が書いたんだろうけど)、その後「ウチは核爆弾は持っていませんよ」と返事をくれたその国が実は核配備していたというニュースを見て、大人って、っていうか世界って、って、びっくりして、こう、若干物心がついたような気分でした。
また思い出した、そのクラスの時、学校の裏庭に学年で畑を作ってお芋を植えたんですけどね。収穫祭の時、人型みたいなサツマイモがとれたおかげで、芋掘り実行委員会から「おいもの神さまで賞」という表彰状をもらって、ものすごく嬉しかったです。
みんな喜んで、その賞状とおいもを黒板の上に飾って、おいもがしぼんで小さくなるまでずっとことあるごとに拝んでた。
いいクラスだったなあ。