ゼルダの伝説 風のタクト
一昨日もカレー、昨日もカレー、今日もカレー。
一年のうち360日くらいカレーでいいよもう。
本気でイラついて本気でへこんだことがあって今だに反芻しては落ち込んでいる。
以下マジメに読まなくていい日記です。
ひさびさに「やりたいことがあるのに能力が足りずに悔しい思いをする」とか「その能力を持っている人に目の前でそれを見せつけられて劣等感を味わう」という状況に陥って、何かこう、もう…ほんとに悔しいギギギギ。
大人になると、不得手なものを避けて通れるので、あんまそういう感覚って最近味わってなかったんですけど。
何かそのこと自体にイライラしてるっていうより、イライラする感覚を思い出して「ああこういう感情ってあったんだ、そういえば!」って目から鱗が落ちた感じで、とりあえずもうちょっと味わっとこうと思ってわざわざ反芻してるので自分は馬鹿かと思います。
反芻してる分にはいいけど、また同じ状況に陥って生々しくあの感情を味わうのが嫌だから、試練からは逃げてしまった方がいいんだろうか。
でもすっごい頑張って問題を全部片づけられたらすんごい気持ちいいんだろうなあ。
でも無理なもんは無理だ、どうやったってできるはずがない。諦めてできることをやるようにするのだって、今まで生きてきて学んだことだと思うんだ。
どんなに頑張ったって、歯を食いしばって必死になって、ちょっと上達したところでそれはできる人のスタート地点にも辿り着いてないんだもの。
だったら得意なことを伸ばしていった方がいいよねって思う。
だから諦めるのが肝心なのだ。
未練はあるけど。
仕方ない…。
子供の頃はこういう感覚ばっかり味わってたな。
できることよりできないことの方がおおくて、というかできることなんか何ひとつなくて、何でもっと周りの子みたいにちゃんとできないんだろうって胸とお腹の辺りが重たくて毎日しんどかった。
今そういうのを感じないようになったのって、決してかつてできなかったことができるようになったとかできることが増えたとかじゃなくて、無意識のうちに劣等感を味わわないように辛いことからは逃げてたからなんだって、うすうすわかってたけどいやにくっきり気がついた。
「できない」ってはっきり目の前で示されるのが辛いから、「できない」ことを見ないように見ないように顔を背けてきたのです。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。子供の頃だったら「努力すれば叶うはず」って信じて闇雲に頑張れたかもしれないけど。
できることがそこそこできてるから、あえてできないことに挑戦して辛い思いを味わうこともないじゃないって思って、でもそれが本当は逃げなんじゃないかと頭のどっかで考えてたりもする。
でもじゃあ逃げることが悪いことなの? とまたループ。
あと「できること」たって別にそれが他の人に較べて抽んでてじょうずにできるとかじゃなかったりするわけだし。
三ヵ月もやってるのに未だ竜の山のほこらで攻略見てもボス倒せないんだからもう諦めろよ…。
もうチンクルぶん殴りたい。
妹救出できないまま終わるおれの緑頭巾人生。