早寝をするのです
しかし1年に2度しかないJ庭ですし、欲しい本もありますれば這ってでも行きたい心境…明日の天気を見守るばかりです。
体力を温存するために今日は早めに寝ようかと思います。ので、日記も早めに書いておく。
寝ている間、暇だったのでずっと本を読んでました、ずっとって言ってもさすがに苦しいので長時間は読み切れず、休み休みでしたが。大体この辺を読んでいた↓
あれですね、寝てる時のハードカバーほど辛いものはないですね。上二冊は買ったまま積ん読状態だったので、これを機に読んでみた。下三冊は読み直し。何でこういうチョイスかと言えば、電気のついてない部屋の本棚に適当に手を突っ込んだらこれが釣れたと。あと「肝臓先生」と「魔術師」も釣れた、そういう棚でした。
初めて読んだ方は、「グランド・フィナーレ」で脱力し、「対岸の彼女」で安心した。
「対岸の彼女」はものすごく好みだったので、こっちを後に読んでよかったです。女性ふたりが主人公ってことなんだろうか、どっちかっていうと葵とナナコの話を読んでる方が楽しかったのはふたりが女子高生だからだろうな…。
小夜子も葵も、教室にいる自分に違和感を感じていたようで(友だちに馴染めない、上手く振る舞えなくて周りから持て余されてしまう)、こういうタイプの女性主人公というのは青春小説などでよく見る形だと思うんですが、こういう話を読むたびにいつも違和感を抱いてしまう。
自分も持て余されがちな子供で学校が一時期大嫌いで、教室に至る階段が上れなくなって学校を休んだ人間なのに、どうして「ああ、わかるわかる」にならないのかずっと不思議だったんです。一緒にいても楽しくない相手なら一緒にいなきゃいいし、一緒にいたい相手でその相手も望むなら一緒にいればいいじゃんとどうしても思ってしまう。
それについてぼんやり考えていてわかったよ、わたしはアレだ、「どうしてわたしは周りと同じようにできないんだろう」じゃなくて「何で周りはわたしと違うんだろう」だったからだ!
周りに合わせようという発想がないからこそ浮くんだな…。
特に高校生の頃、体育会系らしく、女子らしく陰湿ないじめがあったのは知っているんですが(ターゲットが頻繁に変わるアレ、こないだまでいじめられてた子が次は自分をいじめていた子と組んで別の子をいじめてという)、自分はそれに興味がまったくありませんでした。自分がそれに加わる、誰かをいじめるとか、誰かにいじめられるという発想自体がなかった。特に断固たる意志を持ってそれに加わらなかったというより、単純に、自分に関わりのあることだと思えなかったのが理由だと思います。例えば今『あ、近所の人が中庭でカバディやってる』って気づいても、『入れてー』ってならないように。
浮いてはいましたが自分がいじめられるわけでなく、反目する相手がいるわけでもなく、適度に仲のいい相手がそれなりにいた。長く学校を休んで復学した時にはクラスメイトに泣きながら「どうしてたの!」って怒られて、何か学校も捨てたもんじゃねーなと感じました。その子がかわいかったので、ときめいただけかも知れませんが。女子高生の頃から女子高生萌えだった自分を思い出してやるせない気持ちになります。男子高生も当時から好きでしたが、それは女子高生的には普通だろ。ちゃんと単品で好きだったよ、その頃は別にホモ萌えとかなかったし。
って誰に言い訳してるんだよ、つーか何の話だったっけ。
ともかく、そういう「周りと馴染めない、少し人と変わったアタシ(実はちょっと誇らしげに)」という話を読む時に、自分もそういうヤなタイプの女だという自覚があったのに、なぜか違和感が存在していたその理由がわかって、スッキリしました。
人よりぬきんでているわけではなくはぐれているという自覚はあって、それが結果このような人生になってしまったとういことに愁いは感じざるを得ないわけですが。
とかいうことを熱に浮かされながら考えてましたとさ。
学生の頃、女子らしい付き合いを避けて通っていたせいで、オタクになって同人誌即売会なりネット上なりで遊ぶ時に、「なんでこの人こういう…?」とびっくりすることも多いので、もうちょっとまじめに女子をやっていればよかったと後悔もしました。
わたしは女子が大好きなので、できれば女子のみなさんと楽しく遊んだりちやほやされたりしたいです。ちやほやしろよ!
ホントに何の話だ。