下書きを書いては公開しないままの記事が多すぎて何の話をしたのかわからなくなる
ブログに直書きして不慮の事故で消えるのが怖いので、基本UPnoteなどに下書きをしているんですが、公開した記事の下書きも別に消さないので、どれをブログで公開してどれを見合わせたのかがわからなくなってくる。というかすでに相当わからなくなっている。
一太郎を買った話をブログでした気がするんだけど、今年の分はまだ公開してないか…?
どこかで書いた気はするんですよ。TwitterかBlueskyか?
しかも同じ話題を別バージョンで何個か書いたりもしているので(よりわかりやすいようにとか、下書きをしたこと自体を忘れて新たに書いていたりとか)どのバージョンを公開したのか、それともしてないのかすらわからん。
わからんまま下書きフォルダが膨れ上がっていくよ。
何で書いたものを公開しないかと言えば、書き方がまずくて変に燃えあがっても嫌だなとか、燃えないまでも読んだ人に誤解を与えたら嫌だなとか思うからです。
そのうち「そもそもこの記事自体、公開するまでもないか…」って面倒になってくる。
後で読み返すと「別にそこまで気にするものでもないのでは」ということの方が多いんですが、とかく最近はちょっとした言葉選びのミスで曲解され拡散され袋だたきに遭うという状況を散々目にしているので、警戒心が先に立っていくというわけ。
特に今年は舌禍でSNSが燃えるから気をつけろと占いで言われたので、いらんことを言わないようにしようと思っていたりとか。
かといって、長年ブログとかSNSをやっているので意図せぬ拡散というのをこれまで何度か経験してるけど、いわゆる炎上みたいなのとは無縁なんですよね。
もしかしたらどこかしらで燃えているのかもしれないけど、目に見えるところでいわゆるクソリプらしいクソリプをもらったこともないし。
SNSでRT(RP)100を超えたあたりからクソリプがつくというのを聞いたことがあるんですが、やっぱりついたことないな。
でも多分それはすごく運のいいことなんだろうなと思います。特にここ数年は。
傍目で見ていても、どうしてちょっとした言葉がここまで切り取られて歪められて悪意的に取られて拡散されてしまうんだろう、というのがわからなくて、いやそうしたがる人がいるっていうのはわかるんですが、なぜするのかという気持ちがわからないので、いつ自分がされる側の立場になるか予想つかなくて怖い。
気をつけなくちゃな、と思っていると、ブログが寡黙になるんですよね。
そもそも多忙で記事が書けないっていうのもあるんですが、今よりもっと忙しい時期にも毎日ブログを書いてたことはあって、じゃあなんで今滞っているかといえば、「表に出していいのか、よくないか」の判断をするのがめんどくさくなってくるからです。気持ち的にその余裕が持てなくなる。
私は書きたがりなのでいろいろ書きますが、書いたあとにいろいろ考え込んでしまい、見せずに終わってしまう。
見せないままなら見せないままでええかなとも思うんですが、でもやっぱり何かしら書くのは好きだし、書いたら読んでもらいたいなとも思うので、最近は頻繁に更新するようにしています。
でもやっぱり「これを書いたら怒られそうだなあ」とか「私を知らない人が目にしたら曲解されそうだなあ」と思って闇に葬ることも多いので、メン限再開しましたっていうのがあります。
自分に好意を持ってくれる人、自分をそこそこ知ってくれる人が読んでくれれば、あんまり誤解もされないだろうしと。
逆に「これをメン限にしたのになんでこれは全体公開にした?」みたいなところで悩みそうな予感もするんですが。
何も言わん状態がすごくつまらないなあ、と最近ふと、強く思ったりしたので。
基本はなるべく言いたいことを言うようにしつつ、言い過ぎて怒られるかもなというところだけメン限にしたい。このブログでは。
あまりに更新しない時期が長すぎて、元々何書いてたんだっけなこのブログという感じもありますが。
たまに昔の記事を読み返して「この頃はこんなことがあったんだな」とか「こんなことを考えていたんだな」というのがわかっておもしろいので、まあ基本は自分用覚え書きです。
それを読んでくれた人も楽しんでくれたり、ちょっとした暇潰しになればいいな、という感じ。
小説含め「なぜ書くのか」っていうのは全然悩まないんですが(悩む前に書きたければ勝手に書いてしまうので)「なぜ人に見せるのか」っていう部分は結構悩ましくて、でも小説含め自分以外に三人くらい書いたものを楽しんでくれる人がいれば公開する甲斐があるとずっと思っているので、今後ともその精神でサイト運営をしていきたいなと思っています。
このように一体何が言いたいのかわからない無軌道な文章も臆せず公開します。
という日記でした。