観た映画備忘録「映画『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編-決戦-』」

映画

これも観たのは6月か? 上映日当日に行きました。よほど楽しみにしていたのであろう…。
そして観に行った勢いに任せてジャンルアカウントで垂れ流したやつです。別に二次的な萌えの話ではないですが。
本当に自分メモなので読点がないけど気にしないでください。

↓ここから当時書いたやつ↓

※一虎君とか場地君・千冬辺りのことをざっくりと
※つらつらと思いついたことを自分メモのために書いたので散漫な変なポエムです

前編よりも相当オリジナル要素が含まれていて、「映画は映画で完結さす」という意志を強く感じて寂しくもあった…
高杉真宙の「オレには場地さん殴れねー」が観たかったのでそこが削られてしまったのは物凄く残念だけど、今回の千冬は原作以上に場地と一虎、場地とマイキー、場地と創設メンバーに対して傍観者であることしかできなくて、場地君の一切に関われなかったのだというところがさらに浮き彫りになって辛く悲しくてそれはそれでよかった気がする

その分、場地と千冬の出会いがより一層鮮やかに描かれている感じがして、さらに切なかった
場地君に惚れる(恋愛感情としてではなく憧れの男として)様があまりにもくっきりしていて、ああ、これはもう松野千冬の中に場地圭介が刻まれずにはいられないよなという、全場地1)場地と千冬の出会い編での千冬のモノローグ「全部場地圭介だった」の略ですに対するものすごい説得力よ
ガリ勉場地君があまりにも完璧すぎて、そこからの髪を解きつつ「壱番隊隊長場地圭介」があまりに場地圭介で、観てる方にも刻まれますわ…
そして相手をボコボコのボコにして、「もうやめて」「許して」って泣きが入るのも意に介さず(あの泣きの入りぶりもすごくよかったです、可哀想!)さらにボコボコにするところが、原作でマイキーが語る通りの滅茶苦茶な場地圭介すぎた
でも「仲間がやられたから」という動機もとてもわかりやすくて、場地君は本当に優しい人なんだなっていうのも伝わってくる…ボコにした人たちも仲間になったら助けてあげるんだろうな。

前編はまだタケミチとヒナ、タケミチと千冬の物語の体裁があったけど、後編は完全に「いかにして羽宮一虎という少年が堕ちていったのか」という物語だったなあと思いました
稀咲の手引きはあったとはいえ、多分稀咲がいようがいまいが、一虎はどうやっても救えなかったのだ…という感じが いい とても いい
一虎はマイキーに殺して欲しかったんだなあ
というのがすごく伝わってきた
原作では中学生だったから、未熟さや不安定さは年齢的なものもあるのかなと思えなくもないんだけど、映画で高校生になって、一虎の不安定さはもう本人の資質でしかないんだろうなというあたりも強く浮き彫りになった。気がする

もし芭流覇羅との抗争で、「勝ったら場地を返してもらう」じゃなくて、「勝ったら場地と一虎を返してもらう」だったらどうだったんだろうな、みたいなことを考えてしまった
ドラケンが「場地を」と言ったあとに、マイキーが被せるように「一虎を」と言ったら
どうにもならずに、「バカなこと言ってんじゃねえよ」と一虎が顔を歪めて嘲笑して終わったかもしれないし、「バカなこと…言ってんじゃねえよ…」と泣きながら受け入れたかもしれないし、みたいな妄想をして、でもそんなことはマイキーの心情的にもあり得ないんだよなあとしか思えなくてまた悲しくなってしまった

狭くなった一虎君の視界にはもうマイキーしか映っていなくて、場地君がそれを引き止めるためには、隣にいるだけでは駄目だったんだなということも思った
止められないことももうわかってたんだろうな
マイキーとの和解なんて到底無理で、全然引き返せる場所もなく、ただ破滅したがってる一虎をどうしても止められそうにないから、最終的には一緒に行くことしか考えていなかった

なのに、場地が裏切ったという稀咲の讒言に簡単に揺らいでしまったのは、一虎がはなから誰のことも信用していなかったことがありありわかってキツい
本当は信じたかったんだろうなあというのも想像できるんですが。でも場地が自分一人を選ぶなんてこと、どうにも一虎には信じられなかったんだろうな。場地がみんなを大事にしていることを知っているから、そんな場地が自分だけの隣にいて、地獄にまで付き合ってくれるなんてことはあり得ないと思い込んでいた

一虎に信じてもらえていないことを場地も多分、というか一番すごくわかっていて、だから信じさせるには「一虎のために死ぬ」しかないと判断した

トーマの心臓かよ

トーマの心臓かよ…

最近全然関係ないところでトーマの心臓についての文章を読んで、私はあの話何度読んでもサッパリ理解できなくて、「トーマは何で死んだの?」って友達に聞いて解説してもらっても全然わからないままで未だによくわからないんだけど、でもトーマが場地君でユーリが一虎だって考えたら、なるほどな~とちょっとしっくり来た。トーマの心臓知らない人にはすみません。東卍の心臓…何でもないです…すみません…。

場地君が自決したのは一虎をマイキーに殺させないためだけじゃなくて、ただ法律的な無罪にするためじゃ勿論なくて、心情的に負い目を持ってほしくなかっただけでもなくて、「仲間のために命を張れる」を体現したんだなっていうことに、映画でやっと思い至った
だって自分が死んじゃったらマイキーが悲しむことくらい場地君がわかってないはずないし
マイキーだけじゃなくて他の創設メンバー、壱番隊の隊員、他の隊員とかお母さんとかその他の関わりがあった人、それに松野千冬が本当に悲しくて辛くなることは知っていたんですよね、その辺の愛情に疎いタイプに思えない
それでもなお自分が幕引きすることを選んだのは、どうあっても「羽宮一虎を救いたい」という一心だったんだなあと
本当に今、今だよ、東リベ読んで三年目で血ハロ何回も読み返したのにやっと今、すごい納得がいった
どうすればよかったっていうか、こうするしかなかったのだ

全身全霊をかけて一虎を救ったのは、でも、他の人を見捨てたわけじゃなくて「コイツなら大丈夫」って信頼もあったんだろうな…とわかるのは、千冬に対する「ありがとな」かなと思います
「マイキーも千冬も他の人たちも、自分がいなくてもそれなりに生きていける強いヤツらだ」という場地君の信頼は、でも、場地君を大事に思う人たちにとってはものすごく残酷な意思だったよ
千冬のことを考えると本当に苦しい。ずっと蚊帳の外で、自分なりに必死に場地を理解しようとしても突き放されて、どうしても助けになりたいのに関わることすらできずに、目の前で死に様を見守ってしまった
挙句の「ありがとう」ってさ
そりゃもう「ずりぃよ」しか出てこないわ
狡いよ場地圭介…
ちゃんと千冬のことわかってて信じてて、それが嬉しかったよありがとう、今まで楽しかったよありがとう、って言われてるのが伝わっちゃうじゃないですか
それでもなお場地が一虎を選んだことがくっきりしちゃうじゃないですか
自分が場地のそばにいたことは無駄じゃない、なのに自分は場地を助けられなかったって思い知らされてしまった松野千冬よ

映画では描かれることがなくなってしまったっぽいけど、この松野千冬の十年後、一虎との再会は何として見たかったなあ
原作を読んだ時から、千冬は一虎をなぜ許したのか、許しているのか、そもそも恨んでいたのか、ということはずっと考え続けていて、でも割と最初の頃から「許すも許さないも一虎と場地のことに千冬は最初から一切関わりがなかった」「場地が選んだ道を千冬が否定するのはありえない」「場地が命をかけてまで救った相手を自分がどうこうする理由がない」から、そもそも「恨んでいない」もしくは「恨んだとしても許さざるを得なかった」になると思っていて
映画の千冬も多分ずっと、この先十年間、「なぜ場地さんはああしたんだろう」ということを考え続けて、そしたらすごく、一虎に会いたくなったと思うんですよ
再会した時に微笑んでいたのは(原作で)そのせいなのかなーって
そうやって笑う千冬が見たかった
見たかったよ~~~~~~

で、一虎君は場地が死んだ後もマイキーに自分を殺せと迫って、その姿が本当に辛く美しく、ああ映画にしてくれてよかったなあと感じたところでした
地獄以外の行き場所が見えなかった一虎は、どうしてもマイキーの手で殺してもらいたくて、でもそれはマイキーに仇を取らせてやるとか、贖罪のためですらなくて、ただただ自分の欲望のためだったった…みたいに見えるところが、そういう身勝手で独りよがりなところが、臓腑を抉るくらいよかった実写一虎
贖罪の気持ちが全然なかったとまでは思わないけど、それよりは自分を殺すことでマイキーも自分と同じところに墜ちて欲しかった、みたいな方が強かったんじゃないかしら
堕ちたマイキーにさらに堕とされることを考えて、殴られてる間気持ち良かったし幸せだっただろうなあ

映画の一虎は場地ではなくマイキーと地獄に堕ちることを望んでいたようにも見えちゃうんだよな
場地がいるだけじゃ駄目だった。自分がマイキーを殺すか、殺されるかでしか終われないと頑なに思い込んでいた時、やっぱりその目に場地の全身は映っていなかった気がする
だから一虎に刺された時、場地は「何で?」とは思わずに、ちょっとほっとしたんじゃないか、みたいな想像もしてしまう
一虎が裏切りを許さない相手にちゃんと自分が入っていたことがわかったから、だから命を懸けるつもりにもなってしまった(自分の命で一虎を救えると理解した)んじゃないかって
救える方法があるという希望を抱いてしまったからこその自決である

いやもう本当どうすればよかったんだ

一虎に刺された後、フラフラと積み上がった車から降りてきて、転がり落ち、それでも立ち上がろうとする場地君の姿に、場地君こそがマイキーに対する贖罪を体現しようとしているのでは…? と思ってしまった。
でも、悔やみまくっただろうし悲しかっただろうし自分に対する憤りも筆舌に尽くしがたいくらい抱いていたとは思うんだけど、「死んで許してもらおう」とか「死んで楽になろう」とは、場地圭介は微塵も思わないはずなのだ…
(そんな夜が一瞬くらいはあったかもしれないとは思いつつ)

場地君が一番に考えていたのは「自分だけは一虎を見放さない」ということばかりで、そこを基点に血ハロについて考えると、場地の取った行動がすごく納得できる。
原作はタケミチ視点で「場地君を救わなくては」「マイキー君を殺人者にしてはいけない」という位置から見ていたので、場地君がものすごく謎めいていて、最初は怖い人にも見えていたんだけど

羽宮一虎と場地圭介という二人がいたからこそできあがってしまった血のハロウィンがあまりに美しかった
一虎の返り血を浴びるマイキーの鬼神ぶりもまた美しかった

映画の一虎には場地の意図は伝わっているんだろうか
一虎の、「一生背負って生きていく」というセリフもなかったから、そこは想像を働かせるしかない。まあそもそもこの感想全部想像っていうか妄想で成り立ってますけど。

あの一虎君は、やっぱりもうずっと死にたいまま一生を過ごしていくのではなかろうか
ただ刑務所の中で自殺することも許されず、十年経って血ハロの生々しい記憶も日増しに薄れて、そのことに絶望したりはしないかしら
一虎の反応すべてが映画では省かれていたから、場地のために生きよう、マイキーに詫びよう、更生しよう、って気持ちが出てくる感じがしないんだよな~~~~
刹那に生きるしかないのに、ただ単調な日々を過ごさざるを得ない環境に十年間ぶち込まれた羽宮一虎は、出所した時どうなっているんだろう
千冬を見た瞬間、一虎の中に生々しい、まだ血が噴き出たままの傷口みたいなものが甦ったんじゃないかなあと思うんですよ、ポエムみたいな文章で気持ち悪いんですけど
そして東卍が地に堕ちたことを知って、生きる意味をその瞬間に見出せたのではないだろうか
だからやっぱり原作ベースでの千冬と一虎の再会は見たかったよ

でも映画としての完結の仕方にはすごく納得がいってしまったので、見たかったという欲は抱いてしまいつつ、不満はないです
むしろタケミチが未来に戻らぬままの東卍がどうなっていって、それを出所後の一虎がどう受け止めるのか想像するのが、それはそれで楽しい

血ハロを経たからこそ、タケミチも「未来には戻らずここにいる」と決意したわけで、場地圭介の決意の重さに突き動かされたところもあったのかな、あってほしいな
「今」のみんなを守りたい、という選択も、すごく尊い
タイムリープだろうが何だろうがどんな手段を使ってでもヒナを救いたいと足掻くタケミチも大好きなんですけど
運命-決戦の結末として、あの選択に至るところは、すごくゾクゾクしたし、わざわざ映画にした甲斐もあったのではと思いました

という初見の感想。本当に散漫だよ。
あと細かいところも忘れないうちにメモしておきたいな~

References
1 場地と千冬の出会い編での千冬のモノローグ「全部場地圭介だった」の略です

映画

Posted by eleki