全然記録できてなかった去年の分の買った漫画備忘録「ちはやふる(43)」
名人位・クイーン戦続き。
ずっと見ていたいような、早く結末を知りたいような。
読んだ人がよく触れているしのぶちゃんの「好き」のパワーに対する台詞、私も「だよなあ」とすごく思った。
大人の人はなんか……
子供の「なにかを好き」って風船があったら
それをつぶしてあきらめさせても
「好き」はこう横に逃げて
ちがうなにかを好きになるって思ってはる気がするんですけどなりませんよ
つぶれて しぼんで
あんなにあった「好きのパワー」がなくなるだけ……
以下感想と見せかけた自分語りだよ。
私は中学生の頃、あまりに勉強しないもので親から「漫画禁止令」を出されたんですが、漫画を読む時間を勉強に充てられるわけがなかった。
友達の家に遊びに行って、こっそり買った漫画を置かせてもらったり、自分では買わないタイプの漫画を貸してもらって楽しく読んでいただけだった。
興味があるもの、好きなものに対するパワーっていうのは、私で言えば「漫画が好きだから寝食を忘れるほどの集中力を生む」というだけで「何に対しても寝食を忘れるほどの集中力を持っている」っていうことではない…ってものすごくあたりまえなことなのに、そういえば大人は割と無茶振りをするよな。
あとこれもしのぶちゃんの言った、
結果出んくてもやり続けたいいうのは
大変なことやないでしょうか……
これね。
おお振りの番外? になるのか、読み切り「基本のキホン!」でも榛名がそういう台詞を言っていて、
勝ちっつーエサなしで この重労働続けてきたなんてね!
あんた そうっとお 野球スキだっつの!!
私はこのことについて考えるともう絶望しかないんだけど、「好き」というものは本当に怖ろしくて、「見返り」とか「ご褒美」がないのに「どうしてもそれをやらずにはいられない」っていう呪いが宿っている…。
それでもちはやふるは、というか競技かるたは、「勝利」というゴールがあるからいいなあ、と読むたび思う。
自分が運動選手をしていた頃も、「タイムが速い人が勝ち」という非常にわかりやすい世界だったので、ある意味楽だったなあ。
趣味が「マイナーな創作」だと、「また誰にも読んでもらえないんだろうなあ」という経験に基づく予想を持ちながらも、「でも書かねば死ぬ…」という、進んでも引いても死みたいな状況で書き続けなければならぬ。
「書くこと」自体が目的になっているので、「書いたものが見向きもされない」ことは「書かない」理由にはならないんだけど、落ち込みはするので、いっそ「どうせ誰も求めてないんだから書かなくてもいいじゃん」と諦めたい。
書くことが好きなせいで諦められない。
好きっていうのはつらいなあ。
がんばって発行したけど一冊も売れなかった同人誌のことを思い出して、でも全然同人活動を辞める気にならなかったんだよな、あそこで辞めとけばもっと健やかな人生が送れたんだろうなあ、としみじみしてしまったよ。
あと「好きなもの」に対する覚悟と誇りのところ。
最近ちょっと忘れ気味だなと反省した。
ちはやふるを読むと、自分のことも一生懸命考えてしまうので、いろいろしんどい。しんどいけど楽しい。
青春を大好きなものに賭ける人たちの話は定期的に摂取するべきだなと思いました。
つらいのがいいんだよ。