コギトエルゴスム

式部さんちで「トイレ貸して」って言ったらまじめな顔で「え、何で」って返された。斬新だ! まったくおまえは斬新だ!
そう、そういえば、何でだろう…と思考の迷宮に陥ってしまったのでした。もしかしたら、普段深く考えていない、小中学生の読書感想文とか夕方ニュースの地方系特集のまとめでよく聞く「わたしたちの忘れていた何かを思い出させてくれたような気がします」の「何か」がそこにはあるのかもしれません。
 
昔から常々、「わたしたちの忘れていた何か」って何だろう、って考えるんですけどね。
何を忘れているんだろう。
しかもわたし「たち」って、何でわたしまでひとくくりにされているんだろう。何であなたは大多数の代弁者のような顔をしているんだろう。しかもそんな自信にあふれている割には「気がします」と曖昧だし、強気なんだか弱気なんだかわからない。
このフレーズを聞くたび、判断を聞き手にゆだねるなよ! おまえの結論を聞かせてくれよ! って何かお腹の中からパッションがわき出てくるので困ります。
この手の言葉って、聞いてる方が勝手に心当たりを探して「ああ、あれね」ってなって、答えはそれぞれ違ってもみんながそれぞれ納得できるので便利というかずる賢い感じがする。言ってる方もわけわかってないだろうし、聞いてる方も実は別に何も忘れてないのに「いや、俺は全部わかってるなあ」って言うほど自信がないので、やっぱり「あ…あー、あー、あれね、うん、わかる、わかるような気がする」になったり。日本人っぽく。
 
そういう「何か」を「わかるような気がする」ものが書けると、売れる人になれるし、そういうのがわからないから売れないんだよねわたしたちは、という結論に、なぜか、なった。式部さんと。
わたしはただトイレに行きたかっただけなのに。
 

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Posted by eleki