長いお別れ
先日、実家で大事にしていた犬のミミが一足先にお空へ行きました。
エレキの奥さんで、サンディを産んでくれたお母さんだった子です。十八歳くらいの、室内犬にしては大往生だったと思います。
以下、畳んでおくので、こういう話題あんまり読みたくないなって人は飛ばしてね。
以前から、白血病にかかってしまって、もう長くないということは覚悟してました。
夏頃にちょっと様子がおかしい…というので、見届けるために帰省しますっていうのは、あそびばの日記あたりにも書いてあったとおり。
そこでは案外元気だったので、そういえばミミだけはこれまで病気したこともないし本当に丈夫だよねえ、と一度帰ってきた。
先月末くらいに、また少し元気がないと電話をもらったので、実はまたここんとこしばらく実家に戻ってました。
思ったよりは元気で、でもたぶん、これはもう無理だな…というのもわかってた。
冬は越せないだろうと覚悟をしていて、見届けるつもりだったのに、今日か、明日か、と思いながら過ごすのが辛くて自宅に帰ってきてしまった。もう一回、そろそろまずいかもって連絡もらったら行こうと思ってて。
その数日後、連絡もらう間もなく、両親と一緒の布団で眠っているうちに、そっと息を引き取ったみたいです。
苦しんでる様子もなかったそうで、ほんとに大往生みたいで、よかった。エレキの時は、毎日辛そうで、見てる方も辛かったので…。
ぺもたのことを思い出した。あの子もまるまるふくふくしながら、眠ったまま帰ってこなかった。
事故で死んだサンディ、断末魔を聞いたエレキの時に較べれば、年齢も年齢だしショックもなくて、寂しいけど、落ち着いてます。
サンディの時はペットロス状態で、二年くらい、同じ犬種の子を見たり、犬雑誌を見るだけで何も考えられなくなってひとりでボトボト泣いたり、どうしようもない喪失感で発狂しそうになってたけど、今はひたすら寂しい。悲しいというより寂しい。
これで実家で飼ってた三匹はいなくなってしまって、何ていうか、「いっこの時代が終わっちゃったんだなあ」っていう感じです。
十年くらい前に兄が結婚した時にも感じたアレだ。エレキが来たのが小学生の頃、そのすぐ後にミミが来て、サンディが産まれて、実家で家族四人で暮らしてた時代。自分の子供時代みたいのが、がーっと遠くへ行ってしまったような。
ああ、ゆっくりと、確実に、時間が流れていってるんだなあ…と妙に実感する。
犬も人もみんな老いていくんだということがすごく頭に染みこんでくる。ニュースで、名前を知っている人の訃報を聞くたびにちょっとずつ感じてたことが、急におっきい現実感になって襲ってくるみたいな。
ちょっとずつの時間を、ちゃんと大事にしなきゃなあと、いつも思ってるはずのことをまた強く思ったりしました。
ちゃんと大事にする=いっぱいお話書くってことになるわけですがわたしの場合。
エレキがうちに来た時から小説を書いていて、ミミがいなくなっても書いていて、自分が死ぬまでやっぱり書いてんじゃないかなと思う。どこで、何を、っていうのはわからないけどさ。
いろんなものが変わってって、すごい寂しいし、ときどき自分がどこにいるのかわかんなくなってボーッとするけど、そういうのも全部ひっくるめて自分の中にしまって、上手にすくい取って外に出して行ければいいなとか思います。
エレキとミミとサンディは、家族だったし、自分の一部みたいなもんだったので、自分が生きること=書くことと結構繋がってて、びっくりする。無償の愛みたいなのがこの世にあるのを知ったのはわんこたちのおかげだった。
いなくなったのは寂しいけど、いた時に与えてもらったものは山ほどあるので、大丈夫なんです。なんです、って何だ。
可愛い屋さんは、生涯現役でプロの仕事をみせつけてくれました。どうもありがとう。
あと五十年くらいしたらそっちに行くので、虹の階段で待っててくれるといいな。
そんで毎度すみません、この件に関してはコメントとかは、大丈夫なので、送らないどいてください。
これからもデンノウエレキング&電気犬工場はこのまんまですので、よろしくお願いします。
ミミの写真見てかわいいって言ってくださったみなさん、ありがとうございました。ほんとにかわいかったよ。