氷室冴子さんのこと
一般の者にも献花台と記帳所を用意してくださると聞いたので、今日午前、氷室冴子先生の告別式に行ってきました。
電車を間違ったり、お花を捜してうろうろしたりで、時間を食ってしまったんですが、どうにか出棺に間に合いました。
葬儀委員長である菊地秀行先生の弔辞があったそうなんですが、これには間に合わなくて、残念です。
居合わせた方にその内容をお伺いしたところと、最後にご挨拶くださった施主の方のお話では、氷室先生はご自分でご自分のお墓、戒名まで用意され、お別れの時のことを周囲の方にお願いしてあったそうです。
少し急ぎすぎていた、とおっしゃる施主の方の言葉は、本当にそのとおりだと、泣き笑いになってしまいました。
案内いただいて、外の小さな焼香台ではなく、一般の参列者も他の参列者の方々と同じ場所でお焼香させていただくことができました(前日のお通夜の時も、ご遺族の方のお計らいで、ファンもお焼香させていただけたそうです)。
廊下に置かれたモニタに、生前のお姿、旅行のご様子などが映し出され、著者近影や「氷室冴子読本」でお目にかかったままの笑顔をしてらっしゃったことに、涙が止まりませんでした。
大変な闘病生活であったと施主の方のお話にありましたが、それでも、一番最近のお写真でも、とても楽しそうな表情だったことに何だかほっとしました。
ちょっと泣きすぎて、お写真をちゃんと見られなかったのを、帰宅してから悔やんでます…。
わたしは「恋する女たち」と「クララ白書」、それにレモン(残念ながら生協のサンキストレモンではありませんが)を鞄に押し込んでお寺に向かいました。
途中で、曼珠沙華があればぜひ買って行こうと思ったんですが、さすがにみつからなかった。
レモンも、どうかな、お花ではないしご遺族の方に迷惑かなと思い、鞄に忍ばせたままお焼香をすませたのですが、献花台には先にレモンが置かれていたので、わたしもこっそりお隣に並べさせていただきました。
同じことを考えてる方が他にいらっしゃったんだと思うと、とても嬉しかったです。
わたしの他にも、男女、年齢問わず、たくさんのファンの方々が訪れていました。
本当に、みんなにとっても、大事な方だったのだと改めて思います。
一読者にすぎない立場の者にも、氷室先生とお別れする機会を作ってくださったご遺族の方に、心より感謝いたします。
電車の行き帰りには持参した氷室先生のご本を開き、悲しい気分をすっかり忘れて、何度も読んだ物語にまた没頭しました。
そして行きも帰りも電車を間違えた。
最近、姪に贈る本のことで氷室先生の作品についてこのブログでふれたためか、以前より大好きな作家さんとしてお名前をあげさせていただくことがあったためか、訃報に関するメールをたくさんいただきました。
(新井素子さんの追悼文について教えてくださった方、ありがとうございます。読売新聞買ってきました)
わたしも本当に悲しく、6日の晩以来どうしても日常の何にも手がつかず、気持ちの区切りをつけるためにきちんとお別れをしようと思い告別式に足を運びましたが、やっぱりまだ、平静になるのはむずかしいようです。
偶然ながら、わたしの姪の名前は、氷室先生と同じ漢字を使って「冴」といいます。
冴に、母が贈る予定のジャパネスク以外にも、もっと氷室先生の小説を読んでもらいたいな、どれから勧めようかなと、ここしばらく先生のいろんなご本を読み返していました。
(母も氷室先生の読者だったので、訃報に、心臓が爆発しそうだ…と言ってました)
そのさなかの訃報に、本当にまだどうしようもなく動揺したままですが、うろたえながらも読み返す本はどれもこれもおもしろく、何度読んでも愛しくて、もう新しい物語は読めないことは言葉に言い尽くせないほど残念ですが、これらの本に出会えたことがどれほどしあわせだったのかを考えれば、ただ悲しむばかりではいけないなと思います。
できれば既刊すべてが再版され、たくさんの人にもそのしあわせを味わってほしいなと思っています。
自分で持ってる本はみんなボロボロになってしまったので、新しいのがほしいなあ…。
平日の午前中ということもあり、告別式に参加できなかった方もいらっしゃったと思いましたので、大したことも綴れませんが、こういう様子でしたよとこの記事を書いてみました。
頭がよく働かないので、いつにもまして文章が変だったらごめん。