本棚がきーたどー
三つ。これでやっと部屋が(多少)片づく…! と思いつつ、組み立てるのがめんどくせーので玄関に放置です。邪魔! 出かけて帰ってくるとでかい段ボールが道をふさいでる!
最近気づいたんですわたし。部屋が散らかる理由。本をしまう部屋以外で本を読み、服をしまう以外の部屋で服を脱ぎ、ごはんを食べるテーブルがあるとこ以外でごはんを食べているからです。
本は本部屋で読む! 服の脱ぎ着はクロゼットのある部屋(か脱衣所)で! ごはんはテーブルで!
何か生活拠点がダイニングなんだよな〜。今本と服と化粧品で足の踏み場がありません。ドレッサーが欲しいよー。
ボーッと片づく状態を夢見るのが好きです。掃除しろよ。
お昼にいつもの近所の人たちとファミレスでごはん食べてたんですが、窓際の席から見える目の前の道路に、どうやら馬がやってくる雰囲気。馬っていうか馬を乗せた車?
馬(を乗せた車)を見たくて、結構気にして長い時間眺めていたんですが、ごはんも食べ終えお茶も飲み終え、いい加減出るか、って会計すませて外出たら、馬(を乗せた車)のためにいた人員が消えていた。何だ、わずか数分の間に。まあ車が走り去るのなんて一瞬ですが。
見たかったな、馬(を乗せた車)。
馬と言えば、昔Mステか何かで、槇原敬之の「北風」が流行った時にゲストに質問が出て「○○を愛したその時から××の意味さえ変わってしまう」の○○と××に自分なら何を入れるか、という。
永井真理子だっただろうか、「競馬を愛したその時から馬刺しの意味さえ変わってしまう」と答えていたのが心に残っています。
全然関係ないけど、小学生の時に同級生の男の子が「どうか〜下さい」の〜を埋める問題で指されて、黒板に「どうかせんに火をつけてください」と書いていてすげーと思った。生徒たちは笑い、先生はぽかんとしていた。ああいう時子供の方が脳が柔軟ですな。
やっばり全然関係ないけど、中学生の時に、金八に憧れて教師になりましたふうの担任が「雪が溶けたら何になるか」という質問を唐突にしてきた。社会の先生だったんですけど。わたしは「ここで『春になる』とか答えたら超寒い」と思いつつ、「昔なぞなぞ本で見た『古代進が悲しむ』という答えは言ってもみんなわかんねーだろうなあ(世代違うし)」とか考えていた。みんな「ていうか社会の授業中に何言い出してんだこのオッサン」みたいな感じでしらけていたら、「小学生がこんな答えを言った、『雪が溶けたら春になる』、子供の柔軟性はすばらしい、それにひきかえ君たちは……」みたいなことを言ったのでズッこけた。ズッこけるって表現なんかすごいですね。
じゃあさー、たとえば入試で『春がくる』って答え書いて、×だった場合に先生は責任取ってくれるの? そういう柔軟な感性を学校が殺しておきながら、その学校側の立場にいるセンセーがセンセーの前にいる生徒の没個性を責めるのってお門違いなんじゃね? みたいなことを考えていた。
上の導火線の子は、テストの問題とか多分内申点にも問題があったんだけど(集中力がなくて、よく先生に注意されてたり)、発想とかはすごくて、わたしはいつもその子のことをひそかに尊敬してた。
でもその子が決まった答え以外のおもしろいこと言うと、先生はバカにしたり、怒ったりするんだよなー。へんなのー、と子供心に思っていた。
おとなになると、一緒にいる人を選ぶようになるので、変なことを言っても呆れられることがなかったり、呆れてもそのまま受け入れられるようになってくるので、その子がいまもおもしろい子だといいなと思う。
馬からえらい飛んだもんです話が。
自分にわからないことをいう相手に怒り出したり、バカにしたりする人は、「自分はバカです」と喚いているのと同じようなもんなのに、そういう人になるほど声が大きくてうんざりするなー。
って馬の写真見ながら考えた。馬いいよね馬。