ほんとに限定に弱いんですね
- やじきた学園道中記 29 (ボニータコミックス)
- ヴィンランド・サガ(1) (アフタヌーンKC)
- げんしけん(8) (アフタヌーンKC)
- 第二ボタン下さい (ディアプラス・コミックス)
- かみなりソーダ (ディアプラス・コミックス)
- 夢を見るヒマもない (シャレードコミックス)
ヴィンサガはマガジン版持ってるし、また今度でいいやと思っていたのに、ポストカードがついていたのと書き下ろしがあるっていうので買い直す。
げんしけんもどうせ本誌で読んだしいいやと思っていたのに、書き下ろしがすごかったので買う。
よくわかんないんですが、オタクの女の子ってそんなに罪悪感を持ってやおいを書いたり読んだりしているのかしら。というか、オタクってそんなにオタクである自分がイヤか? とこないだ買った辣韮の皮―萌えろ!杜の宮高校漫画研究部 (1) (Gum comics)を読み返しても思います…わたしは生まれ変わってもオタクになりたいよ。いやなるよ。ホモが好きな自分は恥ずかしくないよ。
最近気づいたんですが、もしかして自分の友達を使って本気でホモネタ考えたり、好きな男キャラが女と絡んだら作者に呪いの手紙を出したり、カップリングの相違でつかみ合いの喧嘩をしたり、男装してる人が給仕してる喫茶店に行って喜んだりする人ってネタじゃなくて実在してるのか?
そういうネタを見るたび、やっぱり実際の腐女子と実情を知らない人が想像する腐女子って違うんだナ〜と茫洋と思っていたんですが、わたしが実情を知らないだけだったのかもと思えていた。
わたしはあの、ほんとに何でもよくて、ホモも百合もノマカプも好きで、でもそれは完全に二次元であり、現実とは完全に乖離している世界なんですが、萌えと自分の生きてる世界が一体化してる人も現実にいるもんなのか?
萌えに関して、今まで人に言われて意味がわからなかったことが結構あるんですが、オタクが題材の作品が増えたおかげで段々わかってきた。気がする。
別にわかったからどうっていう分野でもない気はするんですが。