おもしろうてやがて悲しき
クリアしました。ゆっくり時間がある時に終わらせようと思って、最終章の途中で止まってたんですが、再開してみたら結構あっという間だった。
いやあ泣いた泣いた。MOTHERらしい仕掛けの部分でぶわっと来ました。
しかしあれ、前作以前をやってない人は、「これで終わりかよ!」って電源切っちゃったりしないんだろうか。とちょっと心配になった。
えぐい部分はえぐく、やさしいところはやさしいお話でした。
いわくつきの作品で、待って待って待ちまくった割にはプレイ時間そのものは短かったので、そのへんちょっと物足りない気もする。でもこの時代にあえてこの作品を作ったことってすごいなあと思う。
クリアしてから、怖くて読めなかったほぼ日のMOTHER関連の記事を読んだんですが、ああ、やっぱポリゴン礼賛に対するアンチテーゼみたいのは今回あったんだなあと。
FFに対するアンチテーゼかと思ったら64マリオに対してだったのか。
糸井さん・宮本さん・岩田さんの真摯で我儘(傲慢の方か?)な意志みたいなのは、作り手として必要なことなんだな〜としみじみした。
けど、受け手に取っては知ったこっちゃないよな。と思ってずっと糸井さんたちの言い訳は見ないようにしてたんだけど。
ゲームがおもしろかったからそれで満足です。
終わったので、あちこちレビューを読んで回ったりしたんだけど、やっぱ「物足りない」って意見は多いみたいですね。2に較べてちょっと…とか。
し、しかし、多分、そういう人って2に対して思い入れが強すぎるなあと思う。神格化されてるっていうか、かなり思い出が美化されてる気が…。
神的なゲームだったとは思うんですが、3までに気が遠くなるほどの時間を待たされた分、頭の中で「ものすごいものが来る!」って期待しすぎて、評価が辛くなっているんじゃないかなあ。
でも前作以前がなかったら、このゲームって「DSで出たちょっとレトロでおもしろいやつ」っていう、知る人ぞ知る名作というポジションになっただろうけど。これ単品だったらやる気はしない。かも。まあ2以前があっての3なので、無意味な仮定ですが。
結局2以前と較べずにはいられないんですが、今回はずいぶんおとなの視点になっている気がする。おとながパーティにいるせいってだけでなく。
今まで子供がギーグっていう途方もない力をもった敵や、世界っていう大きなものに立ち向かう話だったのに対して、今回は「自分たちが造り出した世界に自分たちが落とし前をつける」的な。
だから、途方もないものに対する無力感とか、非現実感が薄れて、どれも自分の手の届く範囲の問題ばかりで、壮大さがあんまり感じられなかったんじゃないかなとか。
この辺、勝手に、制作側が64が出たことで「ゲームの可能性が広がった!」ってわくわくしながら果てしない物語を描いていたのが、自分たちに手が届く範囲でできることをしようっていう意識に変えてDSで発売したことに関わりあるのかなとか思ってます。
ほんと単なる憶測ですけど。
新しいものにふれたっていうか、懐かしいものを思い出したゲームだ。こう感じさせることは糸井さんにとっては本意じゃないだろうなあ、とこれも妄想。
作り手が年を取ったから見えるであろう設定やエピソード、記号が多いのも、おとな向けだなと思う部分。子供がやったら、「何か嫌だな、もやもやするな」って感じないかな。わたしはいい大人なのでハッとするとこが多かった。
ドット絵でここまでの感情表現をできるって思い出させてくれたのは、今のポリゴンにしときゃいいみたいな一部の作り手に辟易していた身には、すごく嬉しいことでした。どういう心理か知らないが自分に勇気が出た。
というように、いろんなことを考えたゲームでした。
世界にまた自分が関われていたのは嬉しいし、そういうものを作ってくれた糸井さんやその他ゲームに関わった人には、素敵な時間をどうもありがとうと言いたいです。ドアノブ持って自分の世界でがんばります。
さっき終わったばっかなので、どうも散漫ですみません。