きまずいふたり・第5話<完結>
翌日会社で会った寝不足顔の御幸は、顔を合わせるなりわざとしかめ面を作って見せてから、佐山の胸を拳で押した。
「な、何」
前置きない仕種に驚いた佐山に、御幸はますます渋い顔をして見せる。
「何、じゃない。もうちょっと顔引き締めろ、だらしなくなってるぞ」
そんなにひと目見てわかるほどやに下がっているのか――と、佐山は御幸以上に寝不足丸出しな自分の顔を、慌てて両手で擦った。
「あっちはあっちで、この世の春みたいな顔してたし」
どうやら御幸は、先に秋口と会っていたらしい。
「ったく、これでまとまらなかったら、俺のやきもき損だ」
「――ありがとう」
苦笑いのような、照れ笑いのような表情で言った佐山の胸をもう一度叩いて、御幸が自分の部署の方へ戻っていく。
「結婚でもしようかな、俺……」
後ろ姿で言う御幸の冗談に今度は普通に笑って、佐山も自分のオフィスへと向かった。
「いてて……」
そして歩きながら、つい腰を押さえてしまう。体のあちこちが軋むようだった。
ゆうべはほとんど眠りもせず、風呂から出た後も、馬鹿みたいにベッドの上で秋口と触れ合っていた。眠ってしまうのが勿体なくて、眠たかったのに、微睡みながらもお互いあちこち触れ合って、どこまでが現実か夢なのかも思い出せない有様だ。
(いやここで思い出すのはよくないので)
仕事に戻る前に、ちょっと一服していこうと休憩所に立ち寄る。
「佐山さん」
椅子に座るのも億劫で、壁に寄りかかったまま煙草を吸っていたら、通りがかった秋口に声を掛けられた。
「あれ、秋口も休憩?」
ほんの数時間前まで一緒にいた相手に、なぜか無性に照れてしまって、佐山はうまく目が合わせられない。
秋口の方もどうやら同じ心境らしく、頷いて佐山の隣へ来た割に、視線を微妙にずらしたまま煙草の箱を取り出したりしている。
「ごめん。無理した気するけど、大丈夫ですか」
そのままぼそぼそと訊ねられて、佐山は赤面しないように必死に自分へ言い聞かせながら、「うん、まあ」とか、曖昧な相槌を打った。
「……」
「……」
そしてそのまま、お互い黙り込む。
黙ったまま煙草をふかしつつ、でも、佐山は悪い気分じゃなかった。
多分秋口の方も。
「今日、帰り、七時には上がれるんで」
しばらくの沈黙の後、秋口が呟くように言った。
「うん、じゃ、俺もそのくらいにどうにか」
頷いてからちらっと隣を見上げると、秋口もさり気なく佐山のことを見ていて、視線がかち合う。
逸らす理由もなくお互いの顔を見遣ってから、どちらからともなくしかめ面と照れ笑いのあいの子のような、おかしな表情を作った。
「……あのさ、ごめんな」
秋口を見上げたまま佐山が言うと、怪訝な表情を返された。
「何がです?」
「いや……今朝、話してくれたこと。いつも別の子と会ってた理由」
「――ああ」
秋口は今度は憮然とした顔になって、また佐山から視線を逸らす。怒っているわけではないことは、もちろん佐山にもすぐわかった。
「御幸さんに、怒られました。自分が勝手にやってること、黙ったままなのに相手に伝わると思うなって」
「うーん、まあ、たしかに、思いもつかなかったし……」
それがわかっていたら、もう少し話は早くすんでいたとは、佐山も思う。
「でも、そういうの俺が気づけなかったり、秋口が言えなかったりした状況が問題だったんだよな。だから、ごめん」
「……俺こそ」
「もう、状況が変わった……ってことで、手打ち」
佐山が煙草を持ったままの手の甲で軽く秋口の腕を叩くと、秋口が苦笑いでも照れ笑いでもない顔で笑って、佐山も、やっと普通に表情を綻ばせることができた。
「俺、そろそろ戻らないと」
短くなった煙草を捨てて、佐山は寄りかかっていた壁から背を離した。名残惜しいが、いつまでもこうしているわけにはいかない。少しでも離れたくない気分が消えるのを待っていたら、きりがないのだ。
「じゃあまた、夜」
吸いかけの煙草を手に頷いた秋口に頷いて、佐山は休憩所を後にする。
ちょっとでも離れるのは寂しいと思うのに、それ以上に、胸を占めているのは幸福感だ。
(夜になったら、また会えるんだし)
廊下の途中、携帯電話がメール着信の音を響かせる。取り出して液晶画面を高めると、たった今別れたばかりの秋口からのメールだった。
『昼休み、資材倉庫』
タイトルなし、短い本文に見入ってから、佐山は笑みを零した。
『了解』
やはりタイトルなし、本文はひとことで返信する。
昼休みまであと一時間もない。けれども、今までの人生で一番長い一時間になりそうだと思いながら、佐山は携帯電話をポケットにしまった。
「な、何」
前置きない仕種に驚いた佐山に、御幸はますます渋い顔をして見せる。
「何、じゃない。もうちょっと顔引き締めろ、だらしなくなってるぞ」
そんなにひと目見てわかるほどやに下がっているのか――と、佐山は御幸以上に寝不足丸出しな自分の顔を、慌てて両手で擦った。
「あっちはあっちで、この世の春みたいな顔してたし」
どうやら御幸は、先に秋口と会っていたらしい。
「ったく、これでまとまらなかったら、俺のやきもき損だ」
「――ありがとう」
苦笑いのような、照れ笑いのような表情で言った佐山の胸をもう一度叩いて、御幸が自分の部署の方へ戻っていく。
「結婚でもしようかな、俺……」
後ろ姿で言う御幸の冗談に今度は普通に笑って、佐山も自分のオフィスへと向かった。
「いてて……」
そして歩きながら、つい腰を押さえてしまう。体のあちこちが軋むようだった。
ゆうべはほとんど眠りもせず、風呂から出た後も、馬鹿みたいにベッドの上で秋口と触れ合っていた。眠ってしまうのが勿体なくて、眠たかったのに、微睡みながらもお互いあちこち触れ合って、どこまでが現実か夢なのかも思い出せない有様だ。
(いやここで思い出すのはよくないので)
仕事に戻る前に、ちょっと一服していこうと休憩所に立ち寄る。
「佐山さん」
椅子に座るのも億劫で、壁に寄りかかったまま煙草を吸っていたら、通りがかった秋口に声を掛けられた。
「あれ、秋口も休憩?」
ほんの数時間前まで一緒にいた相手に、なぜか無性に照れてしまって、佐山はうまく目が合わせられない。
秋口の方もどうやら同じ心境らしく、頷いて佐山の隣へ来た割に、視線を微妙にずらしたまま煙草の箱を取り出したりしている。
「ごめん。無理した気するけど、大丈夫ですか」
そのままぼそぼそと訊ねられて、佐山は赤面しないように必死に自分へ言い聞かせながら、「うん、まあ」とか、曖昧な相槌を打った。
「……」
「……」
そしてそのまま、お互い黙り込む。
黙ったまま煙草をふかしつつ、でも、佐山は悪い気分じゃなかった。
多分秋口の方も。
「今日、帰り、七時には上がれるんで」
しばらくの沈黙の後、秋口が呟くように言った。
「うん、じゃ、俺もそのくらいにどうにか」
頷いてからちらっと隣を見上げると、秋口もさり気なく佐山のことを見ていて、視線がかち合う。
逸らす理由もなくお互いの顔を見遣ってから、どちらからともなくしかめ面と照れ笑いのあいの子のような、おかしな表情を作った。
「……あのさ、ごめんな」
秋口を見上げたまま佐山が言うと、怪訝な表情を返された。
「何がです?」
「いや……今朝、話してくれたこと。いつも別の子と会ってた理由」
「――ああ」
秋口は今度は憮然とした顔になって、また佐山から視線を逸らす。怒っているわけではないことは、もちろん佐山にもすぐわかった。
「御幸さんに、怒られました。自分が勝手にやってること、黙ったままなのに相手に伝わると思うなって」
「うーん、まあ、たしかに、思いもつかなかったし……」
それがわかっていたら、もう少し話は早くすんでいたとは、佐山も思う。
「でも、そういうの俺が気づけなかったり、秋口が言えなかったりした状況が問題だったんだよな。だから、ごめん」
「……俺こそ」
「もう、状況が変わった……ってことで、手打ち」
佐山が煙草を持ったままの手の甲で軽く秋口の腕を叩くと、秋口が苦笑いでも照れ笑いでもない顔で笑って、佐山も、やっと普通に表情を綻ばせることができた。
「俺、そろそろ戻らないと」
短くなった煙草を捨てて、佐山は寄りかかっていた壁から背を離した。名残惜しいが、いつまでもこうしているわけにはいかない。少しでも離れたくない気分が消えるのを待っていたら、きりがないのだ。
「じゃあまた、夜」
吸いかけの煙草を手に頷いた秋口に頷いて、佐山は休憩所を後にする。
ちょっとでも離れるのは寂しいと思うのに、それ以上に、胸を占めているのは幸福感だ。
(夜になったら、また会えるんだし)
廊下の途中、携帯電話がメール着信の音を響かせる。取り出して液晶画面を高めると、たった今別れたばかりの秋口からのメールだった。
『昼休み、資材倉庫』
タイトルなし、短い本文に見入ってから、佐山は笑みを零した。
『了解』
やはりタイトルなし、本文はひとことで返信する。
昼休みまであと一時間もない。けれども、今までの人生で一番長い一時間になりそうだと思いながら、佐山は携帯電話をポケットにしまった。
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