きまずいふたり・第4話
「……あの、今さら何だけど、お疲れさん」
黙っているのも耐え難く、佐山は努めていつもどおりに――と思いながら秋口に声をかけた。
本当に久しぶりで、どういう態度が『いつもどおり』なのか、あやふやになってしまったが。
「……どうも」
秋口は、相変わらず不機嫌さを隠そうともせず、頷くように頭を下げた。
「本当に、すごい偶然だよな。まさか縞さんの従弟っていうのが秋口だなんて、想像もしなかった」
秋口は黙って煙草をふかしている。
間が保たなくて、佐山も煙草に火をつけた。
しばらく重たい沈黙が続いた。ふたりでいて気まずいなんて一度や二度のことじゃないが、今日はまた格別だ。佐山は自分からもう話題を振る気も起きなくて、意味もなくメニュー表を眺めながらひたすら煙を吐き出した。
それがまるで溜息のようだと自分で思った時、今度は秋口の方から口を開いた。
「亮人といる時の方が楽しそうですね」
ぼそりと、低く吐き出された呟きが、佐山には一瞬うまく聞き取れなかった。
「アキト? ……ああ、縞さん?」
下の名前で言われたので、よけいに何のことか、咄嗟にはわからなかったのだ。
「ずいぶん話が弾んでたみたいだし」
明らかに、秋口は拗ねている。佐山は今度こそ本当の溜息をついてしまわないために、多大な努力を要求された。
「そりゃあ、まあ」
溜息をつかないようにすることへ気を取られて、つい本音を漏らしてしまった。
しまった、と思った時にはもう遅い。秋口を取り巻く空気がさっと強張り、その顔からは表情が消えた。
「俺、他に用事があるのを亮人に無理矢理つれてこられただけなんで」
秋口は財布から紙幣を何枚か取り出し、テーブルの上に置いた。
「料理、まだ全部来てないぞ」
立ち上がろうとする秋口の動きを留めるように、佐山はその紙幣を相手の方へ押し遣る。
そんな佐山を見遣って、秋口は笑っていた。
「どうぞみなさんで、ごゆっくり」
久しぶりに見た秋口の笑顔に、そういえばこういう奴だったんだよなと、いまさら佐山は思い出した。自尊心が高くて、嫌みで、子供っぽい。
本当に何だって、自分はまだこんな相手が好きなんだろうかと思いながら、佐山は秋口を見遣った。
「秋口、俺と会えて嬉しくないか」
「こんな場所で?」
訊ねた佐山の質問に、秋口がすぐに反問する。
「佐山さんは嬉しいっていうんですか。気詰まりな、会いたくもない俺が、せっかく楽しく亮人と会ってるところに馬鹿面下げてのこのこ会いに来たのを見て、楽しいって?」
「……そうだな」
笑ったままの秋口に、佐山は自分も力なく笑い返し、首を振った。
「これで、楽しいはずがない」
「ならそんなこと聞くなよ」
秋口の語調は吐き捨てるようだった。
「友達と食事するくらい、俺はいつだってやるよ。秋口だって――」
言ってからまたしまったと思ったが、もう取り返しはつかない。佐山が言葉を飲み込むより早く、秋口がまた皮肉っぽい笑みをその表情に浮かべた。
「俺が、何です」
「……秋口だって、気詰まりな相手といるよりも、楽しくいられる相手と一緒に過ごした方がいいだろ」
他のどんな言い方をしたって、当て擦りになりそうで佐山は怖かった。以前にも同じことを口にしてしまった。秋口だって他の女の子と会っているだろうと。
あの時秋口から返ってきたのは嘲笑だった。思い出せば、佐山はやりきれない気分になる。
あれから秋口が、自分たちの間が、どれほど変わったと言うのか。
そして今も秋口は冷めたような笑い顔を作って、佐山を見下ろしている。その口から出る言葉を聞きたくなくて、佐山は俯いて言を継いだ。
「それに関して俺は何も言わないよ。言う立場じゃない。秋口は秋口が楽しいと思う人と一緒にいればいいと思うし、俺もそうする。でも俺は、できるなら――」
「あんた一体、何なんだ?」
もう苛立ちを隠そうとせず、秋口が佐山の言葉を遮るように言う。
「何……って」
「もう会わないって言ったり、会えて嬉しくないのかって言ったり、そんなに人のこと振り回して楽しいんですか」
振り回す、などという言葉があまりに思いがけず、佐山は何だかぎょっとした。
「振り回すって、俺は、そんなつもり全然」
「俺には佐山さんの考えてることがさっぱりわかりませんよ。こんな場で他の奴と楽しそうに、俺といる時よりもよっぽど笑ってるあんた見て、俺にどうしろって言うんですか。どうすれば満足なんですか、わけわかんねぇよ」
吐き捨てるように言って、秋口が苛々と髪を掻き上げる。
佐山はさっきからやたら鳴っている心臓を持て余した。怖いのか、辛いのか、それとももっと別の感情が沸き上がっているのか、自分でも判別つかずに戸惑いながら、一度大きく息を吸い込んだ。
秋口はそんな佐山の様子に気づいたふうもなく、うんざりした顔で横を向いてしまっている。
「俺は……ただ、秋口にそうやって俺が誰かと会うたびに機嫌を悪くするのを、やめて欲しい」
「……」
秋口は相槌も打たずに同じ格好でいる。
「そんなんじゃ、秋口以外の誰とも話せなくなる。そういうのは嫌だ」
「あんたは俺のこと好きなんだから、俺とだけ話してればいい」
ぶっきらぼうに秋口が呟いた。まただ、と佐山は思った。秋口はまたこうやって自分のことを、感情で押さえ込もうとする。
それにどうしようもない嫌悪感と不安を覚えずにはいられないことを、どうやったら秋口に伝えられるのか。
「冗談じゃない」
気づくと、佐山は撥ねつけるようにそう言っていた。その強い語調に驚いたように、秋口が佐山を見る。
「そりゃ、俺は秋口のことが好きだよ。気持ちは変わらない」
「だったらどうして」
「だからってそんなふうに拘束される謂われはないよ。そんなこと言われるくらいなら、俺は秋口とは一緒にいられない。いたくない」
きっぱりと断言した佐山に、秋口が一瞬言葉を失くした。
だが、その次の瞬間には、まるで売り言葉に買い言葉のように口を開く。
「俺なしでいられるのかよ」
子供じみたそんな言葉に、佐山は小さく息を吐いた。
結局どう言っても、自分の気持ちなんてきっと秋口には伝わらない気がする。
「秋口が他の誰と何しようと、俺は何も言わないって言っただろ」
「……」
「だから秋口も、俺が誰と会っても、何をしても、口出ししないでくれ」
「……何だよそれ」
短く、秋口が息を吐くように嗤った。
「じゃあ結局、佐山さんが俺を好きだなんて言ったのは嘘じゃないか」
「嘘じゃない。俺は、秋口のことが好きだよ」
幸い周りはできあがった酔客が大きな声で騒いでいたが、佐山は小さな呟きで、もう一度秋口に気持ちを告げた。
秋口はしばらく黙ったまま、佐山のことを見返した。
短い沈黙の後、先に目を逸らしたのは秋口だった。
「……信じられるわけないだろ、そんなこと」
小さな声でそう言うと、秋口は椅子から立ち上がった。
止める言葉ももう思いつかず、佐山は黙って秋口の後ろ姿を見送った。
(ああ……結局、言いはぐった)
先刻、言いかけて、秋口に遮られた言葉。
――でも俺は、できるなら、他の誰とでもない、おまえと楽しく一緒にいられるようにしたいんだ。何か言えばすぐ崩れそうになるような関係のまま、びくびくしておまえの隣にいるのが辛いから、どうしたらそうじゃなくいられるのか、考えたくて――でも俺だって、どうしたらいいのかわからないんだよ。
続けるつもりだった言葉を頭の中で捏ねかけてから、それはもう無意味な作業だと諦める。秋口はもう店を出て行ってしまった。
追い縋ってでもその台詞を言うことができないのは、怖いからだ。
拒絶されるのがではなく、そんなやり方を秋口が受け入れてしまうことが。
(俺も意固地になってる)
あの時、もう一ヵ月以上も前、どうしたら佐山が傷つかずにすむのかと秋口が必死に訊ねた時は、これから少しずつでも何かが変わっていくと信じることができたのだ。だからそれまで言われた言葉もされた仕打ちも全部許そうと思った。
なのに秋口はまだ他の女と会い続けているし、そのくせ佐山には友人とすら会うことを許さない。それがどんなに自分勝手で卑怯なことなのか、本当に秋口は気づいていないのか。佐山は途方に暮れる思いだった。
自分も秋口以外の誰とも会わないから、秋口も自分だけ見ていて欲しいとか――もし秋口が望んでいるのがそんな言葉だとしたら、もしそれで永遠にふたりでいられる保証が手に入るとしても、佐山は口が裂けたってそんなことは言えない。
(たとえ本当は、心のどこかでそれを望んでるとしても)
考えかけ、佐山はそんな自分に気づいて全身が総毛立つ思いになった。
(それじゃ駄目なんだ)
きつく、テーブルの上で両手を握り締める。
(頼むから……気づいてくれよ、秋口)
もう一歩、あと一歩でいいから秋口が近づいてくれるのなら、そうしたら、秋口のことも、自分のことも、佐山は信じることができるのだ。
食欲も湧かずに、佐山が煙草ばかりふかしていると、縞が戻ってきた。後ろに御幸もいる。
「あれ、航は?」
佐山しかしないテーブルを見て、縞が首を傾げた。佐山は苦笑するしかなかった。
「用事思い出したとかで、先に帰りました」
「何だあいつ、挨拶もなしで躾のなってない……」
「御幸? どうした、具合が悪いのか」
縞について席まで歩いてきた御幸の顔色が、ずいぶん悪いことに気づいて、佐山は眉を顰めた。御幸は蒼白な顔で、心なしか足許もふらついているように見える。
「……悪酔いしたみたいだ」
口許を抑えながら、呻くように御幸が言った。自分の上着と荷物に手を伸ばしている。
「御幸が? 珍しいな、これくらいの酒で。大丈夫か? もう帰った方がいいよな?」
御幸が頷いたのを見て、佐山も自分の荷物を取った。
「送るよ。縞さん、すみませんけど今日はこれでお開きに」
「うーん、残念。もうちょっと飲みたい気分だったんですけど」
縞は心から残念そうな顔をしている。全員帰ってしまっては縞に申し訳ないとは思ったが、佐山ものんびり飲み食いする気分ではなくなってしまった。
「じゃ、御幸さんお大事に。佐山さんも気をつけて」
いつもどおり愛想よく言う縞に見送られながら、佐山は御幸と共に、重たい足を引きずりながら店を後にした。
黙っているのも耐え難く、佐山は努めていつもどおりに――と思いながら秋口に声をかけた。
本当に久しぶりで、どういう態度が『いつもどおり』なのか、あやふやになってしまったが。
「……どうも」
秋口は、相変わらず不機嫌さを隠そうともせず、頷くように頭を下げた。
「本当に、すごい偶然だよな。まさか縞さんの従弟っていうのが秋口だなんて、想像もしなかった」
秋口は黙って煙草をふかしている。
間が保たなくて、佐山も煙草に火をつけた。
しばらく重たい沈黙が続いた。ふたりでいて気まずいなんて一度や二度のことじゃないが、今日はまた格別だ。佐山は自分からもう話題を振る気も起きなくて、意味もなくメニュー表を眺めながらひたすら煙を吐き出した。
それがまるで溜息のようだと自分で思った時、今度は秋口の方から口を開いた。
「亮人といる時の方が楽しそうですね」
ぼそりと、低く吐き出された呟きが、佐山には一瞬うまく聞き取れなかった。
「アキト? ……ああ、縞さん?」
下の名前で言われたので、よけいに何のことか、咄嗟にはわからなかったのだ。
「ずいぶん話が弾んでたみたいだし」
明らかに、秋口は拗ねている。佐山は今度こそ本当の溜息をついてしまわないために、多大な努力を要求された。
「そりゃあ、まあ」
溜息をつかないようにすることへ気を取られて、つい本音を漏らしてしまった。
しまった、と思った時にはもう遅い。秋口を取り巻く空気がさっと強張り、その顔からは表情が消えた。
「俺、他に用事があるのを亮人に無理矢理つれてこられただけなんで」
秋口は財布から紙幣を何枚か取り出し、テーブルの上に置いた。
「料理、まだ全部来てないぞ」
立ち上がろうとする秋口の動きを留めるように、佐山はその紙幣を相手の方へ押し遣る。
そんな佐山を見遣って、秋口は笑っていた。
「どうぞみなさんで、ごゆっくり」
久しぶりに見た秋口の笑顔に、そういえばこういう奴だったんだよなと、いまさら佐山は思い出した。自尊心が高くて、嫌みで、子供っぽい。
本当に何だって、自分はまだこんな相手が好きなんだろうかと思いながら、佐山は秋口を見遣った。
「秋口、俺と会えて嬉しくないか」
「こんな場所で?」
訊ねた佐山の質問に、秋口がすぐに反問する。
「佐山さんは嬉しいっていうんですか。気詰まりな、会いたくもない俺が、せっかく楽しく亮人と会ってるところに馬鹿面下げてのこのこ会いに来たのを見て、楽しいって?」
「……そうだな」
笑ったままの秋口に、佐山は自分も力なく笑い返し、首を振った。
「これで、楽しいはずがない」
「ならそんなこと聞くなよ」
秋口の語調は吐き捨てるようだった。
「友達と食事するくらい、俺はいつだってやるよ。秋口だって――」
言ってからまたしまったと思ったが、もう取り返しはつかない。佐山が言葉を飲み込むより早く、秋口がまた皮肉っぽい笑みをその表情に浮かべた。
「俺が、何です」
「……秋口だって、気詰まりな相手といるよりも、楽しくいられる相手と一緒に過ごした方がいいだろ」
他のどんな言い方をしたって、当て擦りになりそうで佐山は怖かった。以前にも同じことを口にしてしまった。秋口だって他の女の子と会っているだろうと。
あの時秋口から返ってきたのは嘲笑だった。思い出せば、佐山はやりきれない気分になる。
あれから秋口が、自分たちの間が、どれほど変わったと言うのか。
そして今も秋口は冷めたような笑い顔を作って、佐山を見下ろしている。その口から出る言葉を聞きたくなくて、佐山は俯いて言を継いだ。
「それに関して俺は何も言わないよ。言う立場じゃない。秋口は秋口が楽しいと思う人と一緒にいればいいと思うし、俺もそうする。でも俺は、できるなら――」
「あんた一体、何なんだ?」
もう苛立ちを隠そうとせず、秋口が佐山の言葉を遮るように言う。
「何……って」
「もう会わないって言ったり、会えて嬉しくないのかって言ったり、そんなに人のこと振り回して楽しいんですか」
振り回す、などという言葉があまりに思いがけず、佐山は何だかぎょっとした。
「振り回すって、俺は、そんなつもり全然」
「俺には佐山さんの考えてることがさっぱりわかりませんよ。こんな場で他の奴と楽しそうに、俺といる時よりもよっぽど笑ってるあんた見て、俺にどうしろって言うんですか。どうすれば満足なんですか、わけわかんねぇよ」
吐き捨てるように言って、秋口が苛々と髪を掻き上げる。
佐山はさっきからやたら鳴っている心臓を持て余した。怖いのか、辛いのか、それとももっと別の感情が沸き上がっているのか、自分でも判別つかずに戸惑いながら、一度大きく息を吸い込んだ。
秋口はそんな佐山の様子に気づいたふうもなく、うんざりした顔で横を向いてしまっている。
「俺は……ただ、秋口にそうやって俺が誰かと会うたびに機嫌を悪くするのを、やめて欲しい」
「……」
秋口は相槌も打たずに同じ格好でいる。
「そんなんじゃ、秋口以外の誰とも話せなくなる。そういうのは嫌だ」
「あんたは俺のこと好きなんだから、俺とだけ話してればいい」
ぶっきらぼうに秋口が呟いた。まただ、と佐山は思った。秋口はまたこうやって自分のことを、感情で押さえ込もうとする。
それにどうしようもない嫌悪感と不安を覚えずにはいられないことを、どうやったら秋口に伝えられるのか。
「冗談じゃない」
気づくと、佐山は撥ねつけるようにそう言っていた。その強い語調に驚いたように、秋口が佐山を見る。
「そりゃ、俺は秋口のことが好きだよ。気持ちは変わらない」
「だったらどうして」
「だからってそんなふうに拘束される謂われはないよ。そんなこと言われるくらいなら、俺は秋口とは一緒にいられない。いたくない」
きっぱりと断言した佐山に、秋口が一瞬言葉を失くした。
だが、その次の瞬間には、まるで売り言葉に買い言葉のように口を開く。
「俺なしでいられるのかよ」
子供じみたそんな言葉に、佐山は小さく息を吐いた。
結局どう言っても、自分の気持ちなんてきっと秋口には伝わらない気がする。
「秋口が他の誰と何しようと、俺は何も言わないって言っただろ」
「……」
「だから秋口も、俺が誰と会っても、何をしても、口出ししないでくれ」
「……何だよそれ」
短く、秋口が息を吐くように嗤った。
「じゃあ結局、佐山さんが俺を好きだなんて言ったのは嘘じゃないか」
「嘘じゃない。俺は、秋口のことが好きだよ」
幸い周りはできあがった酔客が大きな声で騒いでいたが、佐山は小さな呟きで、もう一度秋口に気持ちを告げた。
秋口はしばらく黙ったまま、佐山のことを見返した。
短い沈黙の後、先に目を逸らしたのは秋口だった。
「……信じられるわけないだろ、そんなこと」
小さな声でそう言うと、秋口は椅子から立ち上がった。
止める言葉ももう思いつかず、佐山は黙って秋口の後ろ姿を見送った。
(ああ……結局、言いはぐった)
先刻、言いかけて、秋口に遮られた言葉。
――でも俺は、できるなら、他の誰とでもない、おまえと楽しく一緒にいられるようにしたいんだ。何か言えばすぐ崩れそうになるような関係のまま、びくびくしておまえの隣にいるのが辛いから、どうしたらそうじゃなくいられるのか、考えたくて――でも俺だって、どうしたらいいのかわからないんだよ。
続けるつもりだった言葉を頭の中で捏ねかけてから、それはもう無意味な作業だと諦める。秋口はもう店を出て行ってしまった。
追い縋ってでもその台詞を言うことができないのは、怖いからだ。
拒絶されるのがではなく、そんなやり方を秋口が受け入れてしまうことが。
(俺も意固地になってる)
あの時、もう一ヵ月以上も前、どうしたら佐山が傷つかずにすむのかと秋口が必死に訊ねた時は、これから少しずつでも何かが変わっていくと信じることができたのだ。だからそれまで言われた言葉もされた仕打ちも全部許そうと思った。
なのに秋口はまだ他の女と会い続けているし、そのくせ佐山には友人とすら会うことを許さない。それがどんなに自分勝手で卑怯なことなのか、本当に秋口は気づいていないのか。佐山は途方に暮れる思いだった。
自分も秋口以外の誰とも会わないから、秋口も自分だけ見ていて欲しいとか――もし秋口が望んでいるのがそんな言葉だとしたら、もしそれで永遠にふたりでいられる保証が手に入るとしても、佐山は口が裂けたってそんなことは言えない。
(たとえ本当は、心のどこかでそれを望んでるとしても)
考えかけ、佐山はそんな自分に気づいて全身が総毛立つ思いになった。
(それじゃ駄目なんだ)
きつく、テーブルの上で両手を握り締める。
(頼むから……気づいてくれよ、秋口)
もう一歩、あと一歩でいいから秋口が近づいてくれるのなら、そうしたら、秋口のことも、自分のことも、佐山は信じることができるのだ。
食欲も湧かずに、佐山が煙草ばかりふかしていると、縞が戻ってきた。後ろに御幸もいる。
「あれ、航は?」
佐山しかしないテーブルを見て、縞が首を傾げた。佐山は苦笑するしかなかった。
「用事思い出したとかで、先に帰りました」
「何だあいつ、挨拶もなしで躾のなってない……」
「御幸? どうした、具合が悪いのか」
縞について席まで歩いてきた御幸の顔色が、ずいぶん悪いことに気づいて、佐山は眉を顰めた。御幸は蒼白な顔で、心なしか足許もふらついているように見える。
「……悪酔いしたみたいだ」
口許を抑えながら、呻くように御幸が言った。自分の上着と荷物に手を伸ばしている。
「御幸が? 珍しいな、これくらいの酒で。大丈夫か? もう帰った方がいいよな?」
御幸が頷いたのを見て、佐山も自分の荷物を取った。
「送るよ。縞さん、すみませんけど今日はこれでお開きに」
「うーん、残念。もうちょっと飲みたい気分だったんですけど」
縞は心から残念そうな顔をしている。全員帰ってしまっては縞に申し訳ないとは思ったが、佐山ものんびり飲み食いする気分ではなくなってしまった。
「じゃ、御幸さんお大事に。佐山さんも気をつけて」
いつもどおり愛想よく言う縞に見送られながら、佐山は御幸と共に、重たい足を引きずりながら店を後にした。