こころなんてしりもしないで・第3話
たしかに秋口と組んで仕事をすることにはなったが、前任の青木とかなりの部分まで作業を終えていたたため、佐山が秋口と頻繁に打ち合わせなどで顔を合わせる必要はなかった。商品の設計に入る前ならもちろん仕様について綿密に話し合うべきだっただろうが、その辺りはすでに青木が担当していた時に済んでいるのだ。
しかし、佐山のところには、何かというと秋口が姿を見せていた。
「じゃ、この分向こうさんに見せますから、いいですね」
秋口に見せられた書類を一瞥だけして、佐山は頷く。
「それくらいなら、秋口の独断で構わないから」
電話やメールでも構わないような用件なのに、秋口はいちいち開発課を訪れては佐山に目視で確認を取った。
秋口と仕事をすることになってから三日、日に二度は秋口が佐山の元を訪れる。
正直佐山は困惑していた。好きな男にしょっちゅう会えるのが嬉しいなどという単純なものではない。秋口が来れば緊張するし、緊張していることに気づかれでもしたら情けないので、できれば会いたくはないのだ。
遠くから眺めているくらいがちょうどよかった。何というか、面倒なのだ。相手の一挙手一投足で一喜一憂するなんて、学生時代でもあるまいし。
「引き継ぎはちゃんと終わったんだろ。やり方は青木さんに合わせてくれればいいし」
「センパイから引き継いだ仕事、失敗したら申し訳が立ちませんので」
あくまできちんと書類を確認させようとする秋口に、佐山は少し意外な気分になった。
(結構、まじめなんだな)
秋口の仕事ぶりを目の当たりにしたことはないので、イメージの問題だが、佐山はもう少し彼が軽く、簡単に仕事をしていると思っていた。いい加減という意味ではなく、さらっとこなしている印象があったのだ。
「秋口ももう二年目だし、いつも営業を信用して任せることにしてるから」
あまり細かくやっていたら身が保たないだろうと、相手のまじめさを心配してそう言った佐山を見下ろし、秋口は物分かりの悪い子供をあやすような笑顔で別の書類を差し出した。
「俺の仕事はもちろん俺が責任持ちますけど、佐山さんと仕事するのは初めてですから、細かいところまで確認しておかないと不安なんですよ」
「……あ、そう……」
つまり、こっちの仕事が信用できないと、そういうことらしい。
佐山はかすかに鼻白みつつ、書類を受け取った。途中で加わった変更点のみならず、納期やら、商品に対する先方の指定やら、今さら確認するまでもない基本的なことばかりが書かれている。
(まあ、最初だし)
秋口がそういうやり方をするタイプなら、仕方ない。佐山は開発課で四年働いているが、その仕事が信用できないと言われるのなら信用してもらえるまで相手に従うだけだ。
しかし自分が相手ならともかく、他の、たとえばもっとキャリアのある社員を相手にこれをやったら馬鹿にされたと激怒を買うだけではないだろうか。特にここの開発課は、職人気質のスタッフが揃っていて、その分プライドの高い人間も多い。心配になって、佐山は秋口を見上げた。
「秋口、いつもこういう細かいところまで、最初ならともかく途中でも確認取ってるのか?」
「いえ?」
あっさり否定され、佐山は少々肩透かしを喰った。
「佐山さん、ちょっとトロそう、いや鈍そう、いや、マイペースそうなんで。他人に足を引っ張られて仕事失敗したりするの、嫌なんですよね、俺」
笑顔でそんなことを言う。
佐山は秋口につられて笑った。ひどい言い種に、冗談なのかと思ったが、特にオチも入らない。
トロそう、などと面と向かって他人に言われたのは、生まれて初めての経験だった。
「営業ってね、大変なんですよ、他人の失敗も自分の失敗として謝らなきゃいけないでしょ」
そう言ってから、秋口は今さら気づいたように「あ」と眉を上げた。
「なんて、営業やったことある佐山さんがわからないはずないですよね、すみません」
「いやー……」
何と答えたものか。
ひたすら愛想笑いを浮かべる自分を見下ろす秋口の目が、次第に軽蔑の色を帯びたものになるのが、佐山にもわかった。
でもどうしようもない。
「それとも、わかんないから営業クビになったのかな」
(……ひょっとしなくても)
佐山は喉が渇いて仕方がなくて、デスクの上に置いたミネラルウォーターを口に運んだ。
(俺は、秋口に嫌われてないか?)
初対面の時から、テンポの遅さに苛立たれているのはわかった。きっと秋口は何をするにも回転の速いタイプなのだろう。佐山は自分が特別テンポの遅い方だとは思わないが、秋口が早いのだから、彼の基準で見れば遅いということになるのか。
「まあ……秋口が納得できるようにやりたいなら、合わせるけど」
受け取った書類に目を通し、それを返しながら佐山が秋口を見上げると、何だか呆れたような眼差しを向けられてしまった。
「どうかしたか?」
「いや。合わせていただけるなら、ありがたいですよ」
多分何か、反駁した方がいい。
そうは思ったが、じゃあ何をどう言えばいいのか佐山が迷っているうち、秋口は書類を手にさっさと開発課から出て行ってしまった。
「……」
かすかに、佐山は溜息をつく。
(担当、青木さんに戻らないかな)
どうも秋口とは噛み合わない自分がもどかしいし、情けない。
(遠くにありて思うもの――っていうのは)
無意味に、目の前のパソコンの画面上、マウスのポインタを動かしてそれを眺めてみたりする。
(秋口のことだよなあ)
離れたところで眺めていたり、ふとした時に「秋口はどうしているかな」などと考えたりする分には、それなりにしあわせなのだが。
近くで会って仕事の話をすれば、さっきの調子だ。笑顔で侮られている。そういう印象。
けれども、なるべく遠くにあって欲しいと思いつつ、会えて嬉しいと思う自分の気持ちも否定できず、佐山には複雑だ。
「めんどくさいなあ」
ぼやき、佐山はもう一度溜息をついた。
しかし、佐山のところには、何かというと秋口が姿を見せていた。
「じゃ、この分向こうさんに見せますから、いいですね」
秋口に見せられた書類を一瞥だけして、佐山は頷く。
「それくらいなら、秋口の独断で構わないから」
電話やメールでも構わないような用件なのに、秋口はいちいち開発課を訪れては佐山に目視で確認を取った。
秋口と仕事をすることになってから三日、日に二度は秋口が佐山の元を訪れる。
正直佐山は困惑していた。好きな男にしょっちゅう会えるのが嬉しいなどという単純なものではない。秋口が来れば緊張するし、緊張していることに気づかれでもしたら情けないので、できれば会いたくはないのだ。
遠くから眺めているくらいがちょうどよかった。何というか、面倒なのだ。相手の一挙手一投足で一喜一憂するなんて、学生時代でもあるまいし。
「引き継ぎはちゃんと終わったんだろ。やり方は青木さんに合わせてくれればいいし」
「センパイから引き継いだ仕事、失敗したら申し訳が立ちませんので」
あくまできちんと書類を確認させようとする秋口に、佐山は少し意外な気分になった。
(結構、まじめなんだな)
秋口の仕事ぶりを目の当たりにしたことはないので、イメージの問題だが、佐山はもう少し彼が軽く、簡単に仕事をしていると思っていた。いい加減という意味ではなく、さらっとこなしている印象があったのだ。
「秋口ももう二年目だし、いつも営業を信用して任せることにしてるから」
あまり細かくやっていたら身が保たないだろうと、相手のまじめさを心配してそう言った佐山を見下ろし、秋口は物分かりの悪い子供をあやすような笑顔で別の書類を差し出した。
「俺の仕事はもちろん俺が責任持ちますけど、佐山さんと仕事するのは初めてですから、細かいところまで確認しておかないと不安なんですよ」
「……あ、そう……」
つまり、こっちの仕事が信用できないと、そういうことらしい。
佐山はかすかに鼻白みつつ、書類を受け取った。途中で加わった変更点のみならず、納期やら、商品に対する先方の指定やら、今さら確認するまでもない基本的なことばかりが書かれている。
(まあ、最初だし)
秋口がそういうやり方をするタイプなら、仕方ない。佐山は開発課で四年働いているが、その仕事が信用できないと言われるのなら信用してもらえるまで相手に従うだけだ。
しかし自分が相手ならともかく、他の、たとえばもっとキャリアのある社員を相手にこれをやったら馬鹿にされたと激怒を買うだけではないだろうか。特にここの開発課は、職人気質のスタッフが揃っていて、その分プライドの高い人間も多い。心配になって、佐山は秋口を見上げた。
「秋口、いつもこういう細かいところまで、最初ならともかく途中でも確認取ってるのか?」
「いえ?」
あっさり否定され、佐山は少々肩透かしを喰った。
「佐山さん、ちょっとトロそう、いや鈍そう、いや、マイペースそうなんで。他人に足を引っ張られて仕事失敗したりするの、嫌なんですよね、俺」
笑顔でそんなことを言う。
佐山は秋口につられて笑った。ひどい言い種に、冗談なのかと思ったが、特にオチも入らない。
トロそう、などと面と向かって他人に言われたのは、生まれて初めての経験だった。
「営業ってね、大変なんですよ、他人の失敗も自分の失敗として謝らなきゃいけないでしょ」
そう言ってから、秋口は今さら気づいたように「あ」と眉を上げた。
「なんて、営業やったことある佐山さんがわからないはずないですよね、すみません」
「いやー……」
何と答えたものか。
ひたすら愛想笑いを浮かべる自分を見下ろす秋口の目が、次第に軽蔑の色を帯びたものになるのが、佐山にもわかった。
でもどうしようもない。
「それとも、わかんないから営業クビになったのかな」
(……ひょっとしなくても)
佐山は喉が渇いて仕方がなくて、デスクの上に置いたミネラルウォーターを口に運んだ。
(俺は、秋口に嫌われてないか?)
初対面の時から、テンポの遅さに苛立たれているのはわかった。きっと秋口は何をするにも回転の速いタイプなのだろう。佐山は自分が特別テンポの遅い方だとは思わないが、秋口が早いのだから、彼の基準で見れば遅いということになるのか。
「まあ……秋口が納得できるようにやりたいなら、合わせるけど」
受け取った書類に目を通し、それを返しながら佐山が秋口を見上げると、何だか呆れたような眼差しを向けられてしまった。
「どうかしたか?」
「いや。合わせていただけるなら、ありがたいですよ」
多分何か、反駁した方がいい。
そうは思ったが、じゃあ何をどう言えばいいのか佐山が迷っているうち、秋口は書類を手にさっさと開発課から出て行ってしまった。
「……」
かすかに、佐山は溜息をつく。
(担当、青木さんに戻らないかな)
どうも秋口とは噛み合わない自分がもどかしいし、情けない。
(遠くにありて思うもの――っていうのは)
無意味に、目の前のパソコンの画面上、マウスのポインタを動かしてそれを眺めてみたりする。
(秋口のことだよなあ)
離れたところで眺めていたり、ふとした時に「秋口はどうしているかな」などと考えたりする分には、それなりにしあわせなのだが。
近くで会って仕事の話をすれば、さっきの調子だ。笑顔で侮られている。そういう印象。
けれども、なるべく遠くにあって欲しいと思いつつ、会えて嬉しいと思う自分の気持ちも否定できず、佐山には複雑だ。
「めんどくさいなあ」
ぼやき、佐山はもう一度溜息をついた。