こころなんてしりもしないで・第1話
営業部と、技術開発部は、同じフロアだ。
もともと同じ営業担当だったこともあって佐山は御幸と親しくなったが、それ以後もつき合いが続いているのは、フロアが同じせいもある。広い社内、部署が違えば、何日も顔を合わせないことなんてざらだった。仕事中、休憩所で行き会ったり、帰りを待ち合わせて一緒に食事をしたりなんて、フロアが違えばわざわざやることでもない。恋人同士でもない限り。
御幸以外とも、もちろん同じ技術開発部や、営業部に属している人間とはよく顔を合わせる。
秋口航も御幸とは課が違うが、同じ営業部で、つまり佐山は廊下や休憩所で彼の顔を見かけることがあった。
直接同じ仕事に当たったことはない。相手は佐山の名前も、下手したら顔も知らないかもしれない。佐山の仕事は基本的にデスクワークで、部屋に籠もりっきりになっていることが多かった。営業との繋ぎは事務の女子社員が取ってくれるし、内線で話す機会だってない。
佐山のことを知らない社員は多かったかもしれないが、秋口のことを知らない社員はそう多くはないだろう。
去年入社してきた秋口は、その瞬間に女子社員の間で御幸と人気を二分する有名人になった。
何しろ顔がいい。優しげな御幸とは対照的に、男っぽく強気な面構えをしている。実際秋口は強気だった。上司にもどこか慇懃無礼に振る舞う様子は、生意気だと眉を顰められた。女子社員の人気と同じくらい、男子社員の間で評判が悪い。先刻の食堂のように、相手を取っ替え引っ替えして常に女性の姿がそばにあり、相手は競って秋口に気に入られようと秋波を送る。これで同性から悪し様に言われない方が不思議だろう。
そういう秋口のことを好きになってしまった自分の心理が、佐山には自分でわかるような、さっぱり理解できないような、微妙な気分だった。
特に切っ掛けも原因もなく、気づけば秋口のことが好きだった。
口端を曲げる人を小馬鹿にしたような笑い方も、気の強そうな喋り方も、低い声も、大股な歩き方も、何ひとつ佐山の心を揺さぶらないものはない。
不毛だとは、もちろん秋口への気持ちに気づいた時に理解した。
何しろ秋口は女好きだ。入社以来、女の噂に切れ目がない。
自分は秋口より四つも年上で、おまけに男だ。実りようがないことは火を見るより明らかだった。
(まあ憧れみたいなのも、あるのかもな)
秋口の男らしさに憧憬の念を抱いているのだろうと、おぼろげに佐山は察している。幼い頃父親を亡くした佐山は、どうも男臭い相手に好感を持つことが多い。
もちろんその場合、好きと言っても友情とか、尊敬の好きになるわけだが。
以前の恋人である雛川のことだってそうだし、学生時代にも、女の子とごくまっとうにつき合ってきた経験はあるから、自分がゲイではないことは佐山にもわかっている。体の関係だってちゃんとあった。
で、なぜ秋口なのか。
やっぱりわかるような、わからないような、佐山自身にも首を捻らざるを得ないような恋だった。
それが紛れもなく恋心だということだけは、嫌というほど本人にもわかっていたが。
(それにしても、挨拶すらしたことないなんて、本当に不毛だ)
秋口は多分佐山のことを知らない。もともと、男子社員なんて、仕事のつき合いがなければ鼻にも引っかけないタイプだ。あまりパッとしない自分のことなんて、気にしている方がむしろ不自然だろう。
わかっているから、佐山は多くを望まない。
そもそも叶うわけがないと理解している。
天災が来た時のように、そっとどこかに身を潜めて、静かにしていれば、そのうち全部終わるだろう。
だからおそらく親友と言っていいだろう御幸にも気持ちは打ち明けなかったし、秋口本人になんてもってのほか、近づいてどうこうしようなんて気分も起きず、佐山はただ開発課のパソコンの前でひっそり仕事に打ち込んだ。そういう日常だった。