こころなんてしりもしないで・第2話
(何だ、大したことないじゃないか)
すっきりしない気分で、秋口は休憩所から離れて営業一課の方へ向かった。
沙和子が名前を出したくらいだから、どれほどのいい男かと思ったら、どう見てもただの平凡な男だ。腕カバーだし、眼鏡だし、会話におもしろみもないし、なぜ沙和子ほどの女があの佐山という男に肩入れするのか、秋口には理解しがたかった。
見た目が特別いいというわけじゃない。不細工でもないが、二十七歳にしては童顔で、服装も髪型もちっともおしゃれじゃないし、チビでガリガリだ。百八十近い上背のある秋口から見て、佐山はずいぶんと小柄だった。下手したら百七十センチに届いていないのではないか。今どき高校生だってもっといい体躯をしている。佐山はシャツの上からでもわかるくらい骨張っていて、そのせいでよけいチビに見えるのかもしれない。
凡庸な容姿もさながら、秋口を苛立たせたのは佐山の性格だった。
年下の自分にひどいことを言われても怒るでなく、言い返しもせず、ただへらへら笑っている。のみならず、友人らしき御幸に庇ってもらって平気でいるのだ。
いい歳して友達に守られているみっともない男。
それが秋口の、佐山に対する第一印象だった。
(優しいって、どうせ自分の言いなりになるのが楽だっただけだろ)
きっと沙和子の我儘に、佐山は好きなだけつき合ってやったのだろう。女の気紛れに反論できるほど芯のある人間にはとても見えなかった。
この自分より、あの佐山を選ぶなんて、秋口には沙和子の気が違っているとしか思えない。
「あ、秋口くん」
廊下を歩く途中に声を掛けられ、秋口は足を留めた。声を掛けてきたのは、小柄で可愛い女子社員だった。可愛い、と言っても秋口より年上で、沙和子と同期だ。就業時間中にしてはちょっと化粧が濃い。何もそうまでマスカラを塗りたくらなくてもよかろうにと思いつつ、秋口は少しだけ笑いの形に目許を動かした。過剰に笑うよりこの程度の表情が自分に似合うのを知っている。
「ね、また週末に一課の飲み会やるんだって? あたしも行っていい?」
通りすがり、思いついたような素振りで言う彼女は営業部ではなく、フロアの違う事業部で事務をやっている。わざわざ自分を捜して、仕事もせず廊下をうろついていたのだろうと秋口はすぐに察した。
「駄目ですね」
「えぇ、どうしてよ」
一言の下に却下され、彼女が不服そうに唇を尖らせる。少しプライドの傷ついたような目をしていた。
「巻野さん男に人気あるから、俺が連れてったらセンパイたちにやっかまれるし」
瞬間的に、彼女の表情に満足げな色が宿る。
「あたしだって秋口くんが連れて行ってくれたら、他の女の子たちにやっかまれるのよ。おあいこで、いいじゃない」
すぐに媚びるような目をする女が、秋口は楽で好きだった。巻野は小柄だがスタイルがいい。制服の下の体は肉感的で、抱き心地はよさそうだった。
「俺は誘いませんけど、今週末は北口の飲み屋でやるみたいだから、たまたま顔を合わせる分にはやっかまれる必要もないんじゃないかな」
そらっとぼけたふうに秋口が言うと、巻野が共犯者めいた表情で笑う。
「そうね、わたしは誘われてないけど、偶然入ったお店に一課の人たちがいるのなら、仕方ないよね」
秋口はもう一度巻野に笑いかけてから、再び廊下を歩き出した。巻野も手にした書類を抱え、去っていく。
(楽なのもいいけど、ちょっとは手応えないと、つまらないよな)
秋口は巻野と沙和子のことを交互に念頭へ浮かべた。大抵の相手は、秋口が少し興味のあるふりをすればすぐに応えてきたし、特に合図を送らなくても向こうから積極的に近づいて来る。中には沙和子のように、はぐらかして肩透かしを喰らわせて楽しむ相手もいるけれど、それだってじきに秋口の方を向いた。焦らしたり焦らされたりした分楽しいこともある。
次に沙和子に次会ったら、佐山と直接会ったとでも話してやろうか。そう考えながら営業一課のガラス戸を空ける手前で、秋口は何となく後ろを振り返った。自分が今来た方、休憩所のあるところ。この会社はあちこちガラス造りだから、部屋に入ってしまわない限り、フロアの中がよく見渡せる。
休憩所では、佐山がまだひとりぽつんと立っていて、座ったままミルクの入ったカップを手にしているのが遠目に見えた。
(まだ飲んでんのか。トロいな)
呆れながら、秋口は部屋の中に入った。